Tous les jours Bon Chic

毎日少しでもいいこと探し

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

心の中に独房を。

気付いたら数ヶ月、更新してなかったのね。ということに今更。

割と意識的にSNSを始めとするものから離れています(現在進行形)。
所謂SNSの在り方や使い方に、私の求めるものがなくなりつつあるので。

「イイネ」という言葉が流行語になるんじゃないかと思うくらい浸透している昨今。
私がFacebookを始めた頃には日本語版なんてなかったので「Like」というやつでした。
「イイネ」と「Like:それ好き!」は違うと思うのよね。
何だか昨今は「イイネ」が友達の証みたいになって来ている印象を受けて、
それをするしないによる「差別化」がされているような、そんな感じ。
一喜一憂する道具にもなり得る、恐るべきマインドコントロールシステムな感じです。

ここ最近、山ごもり頻度が増して来ていて、つい先日、久々に独りで山ごもり、ではなく
グループでの山ごもりをしてきました→要するに「黙想会」ってやつです。
いつもの通り、カルメル山に登って来ました。

久々のグループ黙想、最初のうちは余りにも人が多くて、潜心するのに時間がかかりました。
もちろんグループならではのメリットも多くあって。
人が多いからこそ、意識的な沈黙がすごく意識に沁みてくるということや、
特定テーマで神父様の講話が聞けると言うこと。
けれども心が所謂大沈黙以上の何か、より厳しいものを自分に求めていて止まない。

個人黙想の時には、ひたすら何もありません。
食事もひとりだし(同時期に黙想に来ている人がいても)、講話なんて無いし。
ひたすら沈黙のうちに、己の内におられる主と対峙します。
その時には、自分と言う人間をまざまざと見せられて言葉にならないほど打ちのめされることも。

グループ黙想の時には、大沈黙でも「しゃべっている」人がいます。
言葉ではなく、存在全体が、言葉を発していることを感じます。
そうすると、自然と空間にざわめきが生まれます。
個人黙想を始めてから初めてのグループ黙想だったので、「入り込めない!」と焦りました。

配布物に、目をやると、黙想中にシエナの聖カタリナの祝日があることを発見。
いつもはカルメルの聖人たちなのに、今回は聖カタリナに怒られたようです。
「心に独房を作り、そこに入りなさい。そこで隠れたところにおいでになる主と出逢いなさい」
...テレジア母さん...同じ教会博士のよしみで、カタリナに頼んだようです。
しかも、カタリナ...私の代母さんの洗礼名です。まさに、1トンハンマー。
撃沈。

そこに、テーマが十字架の聖ヨハネです。
感覚の暗夜、という自由を得ることが書かれている「カルメル山登攀」。
言葉や表現の仕方は違えども、言っていることは同じことです。

「すべてから切り離されて自由になり、己の心の中で自由に神と交わりなさい」

...うーん。この心の感じる自由を言葉で表現しろというのには無理があったようですが

心の中に独房を作りなさい。

Likeだろうがイイネだろうが知りませんが(苦笑)って言い方も良くないですが、
それが友達の証、というのであれば私はそういうところから自由になって、
そんなことがなくとも、心で繋がる友達と「友達」でありたいと思います。

昨今のFacebookの在り方と共に、そういうことも、所謂「気にしなければ良い」のだと。
つくづくそう思うのです。はぃ。
スポンサーサイト


  1. 2013/05/04(土) 21:05:18|
  2. 祈りとともに|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
| ホーム | 来たよ(汗)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://maytetheresemain.blog27.fc2.com/tb.php/731-fcf6b773
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。