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修練闘士として。

久々に影技 (Shadow Skill)を持ち出した、ということは、武技言語を習得する必要性にかられていると言うことだと、ご存知の方はお分かりのことと思う。

大事な物が出来ると、帰ることができるため人は強くなるかもしれない。

だが、それを失う恐れのために闘士(ヴァール)としては弱くなる。修練闘士(セヴァール)たるためには、そこはもっと大きな視点で闘いという痛みの中に身を投じて行かなければならない。

戦場への復帰を目の前にして、ぬるま湯に浸っていてはいけないのだ。

今、万全の状態で戦場へ戻るわけではない。それこそ手傷を負い、この病の原因であった傷を自らこじ開けてしまったに等しく、神人/闘士の一族として恥ずべき姿を晒している。エレは、闘いという痛みをも己に取り込んで、それでもなお修練闘士として戦場へ赴く。その傷を己の筋肉の膨張で塞いで。

私はそのエレが好きだった。

だが、頭につきまとう。ガウという存在は、エレにとって何だったのか。

再び己の戦場へ戻る今、エレに問いたい。

エレにとって、ガウはなんだったのか、クルダとはなんだったのか。そして、ヴァジュラとは、どういう存在だったのか。それを持ってしてなお、強く前へ、戦いの場へ出ることができたのはなぜだったのか。私はその「クルダ」を持ち得なくても修練闘士たることはできるのか。

文字通りの「戦いの場」へ戻りたい。

それが私の「戦いの場」なら。
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  1. 2012/10/24(水) 21:15:05|
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