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「夏の祈り」

9月21日まで、渋谷UPLINKにて公開されていた、ドキュメンタリー映画「夏の祈り」を観て来ました。

21日、東京での千秋楽では、坂口監督の舞台挨拶があるということもあり、何を考えて、なぜ長崎だったのか、ということも思っていたので、それも聞きたくて最終日に行くことに。

夏の祈り公式Webサイト

以下、ネタバレも含みますので、これから観よう!と思っておられる方は、飛ばして下さい。




坂口監督が、恵みの丘長崎原爆ホームに向かうところから、このドキュメンタリーは始まりました。そしてそこから2年に渡る記録映画です。

淡々と、その「原爆ホーム」で暮らす老人たちの日常を記録していく中に、力強く「祈り」が感じられる作品になっていました。

主に取り上げられているのは、そのホームで暮らす女性3名。本多シズ子さん、村上ハルエさん、山口ソイ子さん。3人が3人、それぞれの被爆体験を、インタビューに答えて語ります。ですが、飽くまでこの映画では、その3人のエピソードと共に、取り巻く状況、人々や日常、その他被爆体験を持つ方のエピソード、そして今も続く「放射線の影響」の研究を淡々と切り取って行きます。

この長崎の原爆ホームは、純心聖母会というカトリックの修道会が経営しているため、そこここにカトリックの「祈り」の場面が挿入されます。長崎は今でも伝統的なカトリックの習慣の残る地です。「日本におけるカトリックの聖地」というナレーションが入っていましたが、というよりは「発祥の地」と言う方がしっくりは来ますが。もっと言うと、生活習慣として文化として受け入れられている地、と言えばいいでしょうか。なので、今はめったに見られなくなった、ミサでベールを被っている女性信徒の姿の多さには、聞いてはいましたがちょっと圧倒されました。浦上天主堂を埋め尽くす聖誕徹夜祭のミサの様子で、被っていない女性信徒の方が少ないのではないかと。今、東京カテドラルでこの様子は見られません。

そんな様子に圧倒され、「長崎はすごいなあ」と思う傍らで、淡々と切り取られている日常の中に織り込まれる祈りの風景があまりにも日常的であることにも、ふと気付きました。

「教会の祈り」と呼ばれる聖務日課が、普通に行われているようでした。

最初に登場する本多シズ子さんは、純心聖母会の孤児院で育っていて、その孤児院で被爆しました。両脚が動かず、左目も失明。そんな彼女が、朝の新聞の取り替えをする様子が始めに彼女の境遇の説明以外、何をしているのかの説明もなしに挿入されています。朝まだ暗いと思われる中、そうやって淡々と持ち分の仕事をこなしていきます。

その後、突然場面が切り替わり、お告げの祈りが始まります。手許にあるパンフレットの中には「聖母マリアの祈り」以外に書かれていませんが、「み言葉は人となり」「私たちのうちに住まわれた」という祈りが聞こえました。そうして、朝課が始まりました。

その後の本多さんの日常を、カメラは何の説明もなしにただ切り取り続けます。

その中に感じられたもの。それは、祈りに支えられる人の優しさでした。人に声をかけ、励まし、笑わせる。できることがあれば、手を出して手伝う。少ない場面の中に「ありがとう」という言葉が数回。

普通の「老人ホーム」の日常を映し出した後、何気なく、「被爆劇」へと話が移って行きます。

被爆劇:これは、この「原爆ホーム」に住む被爆者たちが、自らの体験を元に劇を作り、子どもたちにみせるために演じるものです。身体の動く方が、杖にすがって、介助者に支えられたりしながらですがその時の自分の体験を再現し、「平和学習」としてホームを訪問する子どもたちに見てもらおう、語り継いで行こう、という試みです。

練習場面も映りましたが、その時にはそれほどの衝撃を受けませんでした。

ノートルダム女学院の生徒たちが、観劇にやってきて、本番が始まった途端、一気に舞台の上に感情の火花が飛び散るような錯覚さえ覚えるほどの戦慄が走りました。劇自体はそれほど大きな仕掛けがされているわけではありません。でも、入居者の方の台詞はもはや台詞ではなく、60年以上、心の中で叫び続けて来た「あの日」の叫びが堰を切ったようにほとばしり出た「本物の」悲鳴でした。

「母ちゃん、母ちゃん、熱いよ、熱いよ。水ば下さい、水、水を...」

この叫びは、今でも頭の中でこだまします。

本物の叫び、だったからでしょう。気がついたら、涙があふれていました。
3人の女性が登場するごとに、この被爆劇が繰り返されます。それは、その人その人のその時その時の体験を私たちが劇を通して追体験するように、とのことだったのでしょうか。

そして、平和祈願祭。あちこちでの祈りが映されました。爆心地から近い、純心女子学園での慰霊祭のようすも映りました。浦上天主堂の「被爆マリア」。何度も目にする機会はありましたが、在りし日の寄木細工のマリア像を見たのは初めてでした。美しいマリア像。爆心地から500メートルのところにあった浦上天主堂は、文字通り吹き飛んでしまったのです。

被爆マリア
生協ひろしま/組合員活動/活動日記様より拝借)

かつての美しいマリアと、今の虚空を見つめるマリア像。

そんな一面が切り出されたかと思うと、突然現実に引き戻され、長崎病院の病理標本管理室の映像が映し出されました。ホルマリン漬けになっている、献体して下さった被爆者の方々の病理標本。亡くなって60年以上経っても、まだ放射線による傷が遺伝子から消えない。亡くなってもなお、放射線が亡くなった方の身体を蝕んでいる。その事実に、愕然とさせられました。生きている方は、それを思うといかばかりか。

それでも切り取られて行く日常の生活場面。そこには、普通の「老人ホームの生活」が映し出されます。

日常が、少しずつ日常ではないものになっていく感覚、と言えばいいのか。
そんな日常の中に織り込まれる「被爆」という現実。それを必死になって追求し、その人たちの「日常」を支える人の努力。その根底に流れる強い「想い」と平和への祈り。そんなたくさんの想いが重なり合って行きます。見るに堪えないほどの悲惨な映像もありました。でも「見てほしい」というその方の言葉に、勇気を出して、顔を上げました。

爆風による被害。ガラスの破片。たくさんの想いが、ずっしりとのしかかってきていた時、寺嶋しのぶさんのナレーションで、「長崎で歌い継がれているカトリック聖歌があります。」と始まり、耳に入ったのは、聞き覚えのある歌。

み母マリア。

カルメルの黙想会でも終課(寝る前の祈り)の後歌いました。優しく、毅然と聖母マリアへの献身を誓う歌です。純心女子の学生やシスターたちが、歌いながら、亡くなっていった歌。江戸時代の殉教者たちは、アヴェマリアや、サルヴェ・レジーナを歌いながら、殉教への道を歩んでいったと言われます。また、ハイファのカルメル会士も、ちょうど晩課の終わりにサルヴェを歌っている時に、襲われ、歌いながら斬られていったとも。

それを聞いていただけに、この歌は、心の深くに沁み透りました。

入居者の朝ミサの風景に場面が転じても、この歌が頭を離れませんでした。

この後、村上ハルエさんのエピソード、山口ソイ子さんのエピソードもついで紹介されます。
被爆劇の様子も流されました。

その時。
その被爆劇で、「母ちゃん、熱いよ、水、水ばください」と舞台上で演技している方を見ながら、袖に控えていらっしゃる方々が、うん、うん、と頷いているのが目に入りました。

...なんだったんだろう、あれは。その時の自分が重なったのでしょうか。

平和祈願祭の様子が再び映され、職員の方が被爆者の方のメッセージを読み上げます。涙を抑えられない方。目を閉じて祈る方。ロザリオを握りしめる方。

多くの人たちの言葉と、祈り。

平和、ただ言葉にすれば簡単だけれども、本当に難しいことです。心の平和があって初めて世界を平和にすることが出来る。「私は私の平和をあなた方に遺し、私の平和をあなた方に伝える。」ミサの「平和の挨拶」の前の言葉です。「主の平和」と私たちはミサで、周りの方々と言葉を交わします。でもおざなりになっていないか。思わず自分を振り返りました。

映画の中の時は巡り、生誕劇(パジェント)が行われ、生誕ミサが繰り返されました。長崎の夜景に「日常」が再び甦ります。

本多さんが、配達された新聞を朝、取り込んで施設内に配るところから始まったこのドキュメンタリーは、彼女が最後「おやすみなさい」と、寝る前の祈りを唱えるところで終ります。

長崎湾を見下ろして、み母マリアの賛歌が響き、終りました。

全編通して感じられるのは、生きる力、平和への祈り、力強い、根底に流れるその祈り。日常の中で自分の体験を、大きなものとして知りながらそれを「生きる」、それを己の宿命として後世に継いでいく、平和のバトンを渡していこうとするその意志。そしてそれを捉える優しい眼差し。

貫かれる祈りと、自分自身を思わず振り返らされる、そんな祈り。

苦しみの中に在っても、悲しみの中にあっても、生きるための祈り。そしてその祈りの発露としての日常。

自分の祈りを見つめ直すことにもなりました。

最後に、み母マリアを。

み母マリア 身も心も
とこしなえに ささげまつる
朝な夕な 真心もて
君をのぞみ 慕いまつる
み恵みこそは きよき慰め
輝かしき 君が冠(かむり)
うるわしき 君が笑まい
ああ 我ら深く 慕いまつる

み母マリア この汚れし
我らの身を 清めたまえ
この憂世を 暫し避けて
とわの栄え 仰ぎまつる
花咲き匂う 天のみ国へ
たどる道を 照らしたまえ
いまわにも み恵みもて
罪ある この身を 守りたまえ

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  1. 2012/09/22(土) 21:38:40|
  2. 祈りとともに|
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