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逡巡

キャラクターでカテゴリを分けていたものをやめて久しいのですが、なぜかこのエレ・ラグと、エル・ウッズ、ふたりのElleは残っているという(笑)しかも両極端に等しいという...。

巡礼の記録を続けたいのですが、1日1日があまりに詰まり過ぎていて(苦笑)一気に行けません。

さて、病気療養を始めてはや8ヶ月です。発症しておよそ1年が経ちました。まあ、一番思い知ったのは、自分がどれだけ自分を酷使していたか、ということですが、その根底には非常に深いこの仕事への喜びがあったから。

が、今、振り返るのです。エリヤの姿に自分を重ねて。カルメルの山で、エリヤはバアルの神が私たちの神ではない、ということを証しして、イスラエルに対して、神に立ち返れ、と呼びかけます。彼を養い、強くしていたのは彼を満たしていた神の霊。それが証拠に、イゼベルから脅されたエリヤは、木の下で主に命を取ってほしいとまで言ったのです。カルメル山に立ち、エリヤの像を見てその苦しかったであろう思いを、思いめぐらす。預言者聖エリヤ、父エリヤ、とカルメルの会員たち、接触者、志願者たちはエリヤに祈ります。彼は列王記上17章に突然現れ、その後2章の間、力強く闘い、ソロモンの主への背信から始まるイスラエルの反逆の歴史に歯止めをかけるべく、奮闘する。その彼が、たったひとことのイゼベルの言葉で、なぜそんなにも恐れたのだろうか。

それは、彼に「希望」が与えられていなかったから。彼は必死に闘った。その後何が起きるのかを考えずに、必死に、イスラエルを主に立ち返らせようと。そして、気付いたら干ばつが終わっており、イゼベルに脅されていたのだ。彼はそこではたと立ち止まってしまったに違いない。自分のしてきたことを振り返ってこれ以上のことを今後できるだろうか、と思ったに違いない。「もう無理だ。今までやって来ただけで十分だ。もう、終わりにしたい。もうこれ以上私にはこの嵐の中を進み、主の道をこの頑なイスラエルの民に告げ知らせ立ち返らせる力は出ない。」そう思った彼の思いが我がことのように思われる。この先何があるのか、彼には分からないままがむしゃらに進み続けた。そして、立ち止まってしまったのだ。進む方向が、分からなくなって。光が、ないように思われて。

でも実は、光は彼の中に、あった。それは彼を支え続けた神の「霊」。炎のように燃える必要がなくなったとき、その光は、身を潜める。しかしその中にずっと、燃え続けているはずなのだ。ホレブの山で、彼はきっとそれに気がついたのだ。だからもう、彼を主がどう使われたいのか、そのみ手に自分を委ねることができた。

私は今、ホレブの山に隠れるエリヤのように思う。

振り返れば、私がいかに祈っていても傲慢で己を信じていたか、主ではなく己の力を過信していたかが見える。私を支え続けたのは私に祈りがあったからで、必死になって私を支える、母テレジアと、テレーズの愛があった。テレーズは己の姿を現しすらした。あり得ない場所に、あり得ないタイミングで。

私は今、呼ばれる時を待つ、隠れるエリヤのように思うのだ。

主は、大いなる食物と飲み物で私を今養われた。
失われたと思われていた絆は取り戻され強められ、私は我が来し方を知る旅に、8月末に出る。
私の地上の頸城は、恐らく遅かれ早かれ取り去られる。時が来れば。
また、準備が不十分だと自分で思っていた私を主は密かに、秘密のうちに準備されて
ガリラヤ湖畔で、私に声をかけられ、またベロニカの布で顔をぬぐわれるように私に十字架を担わせた。
アフガニスタンで私をどのように養ったかを、エンカレムでお示しになり、愛して下さった。
取り戻された絆と、新しい絆の架け橋となり、そこに失われていた絆を取り戻す道具としてくださった。
魂に音楽の命を吹き込み、踊りでその喜びを表し、祈りが私の歌声になる。

しかし主は、まだ私を呼びだしに来られない。
激しい風にも、雷にも、火にも、地震の中にもおられない主。

召されればそれが私の生きる道。
私は、あなたのみ旨に生きたい。だから私はあなたを待ち続ける。
ホレブの山の洞窟に、隠れ続けるのです。

でも主よ、この手を、取って下さい。
私の手は、あなたからの食物に満たされ、すべてあなたのものです。
私自身があなたのものです。だからこの手をこの暗闇で引いて下さるのは、
あなたしか居ないことも、私には分かっているのです。
いつか天の国であなたの顔を覆いもなしに仰ぎ見るまで、
この手を、どこへでも引いていって下さい。

でも主よ、早く、この手を取ってほしいのです。

それとも主は私にまだ、私はまだホレブの山に着いていないと、私を眠らされるのでしょうか。
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  1. 2012/06/18(月) 21:57:23|
  2. 想い|
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