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聖地巡礼の旅:2日目(ガリラヤ湖畔:山上の垂訓、パンと魚の教会、ペトロ首位権教会、カペナウム)

今日はもうすでに帰国から1週間が経っている。が、正直まだ「現在形」で巡礼の振り返りと、黙想が今でも絶え間なく続き、溢れ出るものが止まらない(苦笑)巡礼中最初の数日間、感動しているのかしていないのか実感が湧かなかった。なぜだろう?と思っていた。先日、現在、指導いただいている神父さんに会って来て、私は海の深くに沈み込み過ぎていたため、海の中にいるのかすら分からないような状態だったのだ、ということが分かって、笑い出したいような気持ちになった。今になってようやくそれが分かった感じ。

ーーーー
5月31日。この日は「聖母の訪問」の祝日だった。また、意向は聖母マリアへの祈り、となっていたので、前々夜に入祭、拝領、閉祭の歌を決める時どうするのか、正直3人で頭を抱えた。が、結局入祭で「あめのきさき」を歌うことにし、あとはその日のスケジュールを鑑み、「キリストのように考え」と「ガリラヤの風かおる丘で」に決めた。

カトリックの青年あるいは信者さんならみんな知っていると思われる歌。
「ガリラヤの風かおる丘で」を閉祭に持って来たのには意図がある。その日は1日、ガリラヤ湖畔を旅することになっていた。最初から最後まで、ガリラヤ湖での出来事が語られ、そのすべてが詰まったこの歌を、この日の朝ミサで歌うことで、その日1日を始めたかった、という想いがあった。

最初に訪れたのは、山上の垂訓教会である。マタイによる福音書5章から7章と2章ものページを割いて書かれている説教の教えは、実に多い。だが、山上の垂訓、と言う時、大体が、マタイ5:3-13、およびルカ6:20-26の「真福八端」を指す。

山上の垂訓教会

実は、マタイとルカは比較すると少し面白い。マタイでは、ここではなぜイエスがガリラヤ湖畔に留まられていたのかが書かれていないが、ルカ書にはマタイではもっと後に書かれているイエスがガリラヤ地方で教えられた後、ナザレで受け入れられないというくだりが書かれている。ナザレはガリラヤ湖に近くはあるが、ナザレからガリラヤ湖までは今でこそ車で1時間ほどの道のりだが、その頃の人の脚では半日はかかったのではないだろうか。

さて、その真福八端が、その日の福音の箇所として読まれた。
巡礼に来て初めて知ったことだが、巡礼に人が訪れることが多い教会は、各教会の関連個所のミサ式次第を、各国語で準備しており、奉献文などもそれにそって準備されている。ので、その日は聖母の訪問ではなく、真福八端だった。そこでのミサは、非常に印象的なものだった。

カルメル在世会は、入会する際、この真福八端を実現するものとなることをも約束するので、これについても勉強する。が、その日やはり、イエスが実際に教えられたところで、神父様にその説教をしていただくと、これはより深いものになっていく。

心に響いたのは、最初の方で言われたことだった。
「イエスが教え始める最初の方に起きたこのできごとです。弟子と成った人たちは、イエスがどんなことを言うことを期待していたでしょうか。そして、この8つの幸いである、を聞いて、何を想ったでしょうか。それは、とりもなおさず「今」私たちが感じていることでも、あるのです。私たちも弟子たちと同じように、イエスがこれで何を語らんとしているのかを得ていこうとすることが大事です。」

そう、前置きしてから、「色々な解釈がありますので、私なりの考えを簡単に」と渡辺神父は解説を始められた。

山上の垂訓教会中2

心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである。すでにその人たちのものだ、と現在形で言われていることに注目して下さい。心が貧しい、神に頼む意外にない人たちです。
悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。悲しむ人々、とありますが、私はこれを、悲しむ人とともに悲しむ人々をも含む、と思います。「寄り添う」ということです。

山上の垂訓教会中1

柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。柔和、とはどういうことでしょうか。「心配」はしても「怒る」訳ではない人々、ではないでしょうか。
義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。義とは何でしょうか。正義、正義感でも良いでしょう。しかもそれは「神の」正義です。

山上の垂訓教会中3

憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。これは、憐れみの心を持つ、ああ、可哀想だと思う心を持つ、それだけで良いのではないでしょうか。色々な事情で行動に起こせないことはあるでしょう。けれども心に留めて「ああ、可哀想だ」そう思うだけで良いと思います。
心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る。これは、どう言うことでしょうか。これは「良く」「善く」人を見ることが出来る人ではないかと思います。何事も粗探しをすることは簡単です。ですがこの「善く」見る中に、神の働きを見ることのできる心を持つ人、ということでしょう。

山上の垂訓教会中4

平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。平和、とは何でしょうか。世界平和とか、色々ありますが、私たちの出来ること、それは一番近くの人々に平和をもたらすことではないでしょうか。家族、同僚、親戚、そんな中に笑顔で平和をもたらすこと。実際は近ければ近いほど難しいと言われますが。
義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。さて、日本にも、その礎と成られた方々がいましたね。たくさんの殉教者を出しました。では、それでなければ迫害されていると言えないか、といったらそうではありません。形を変えて、例えば家族の中でひとりだけ信者である、という方も多いでしょう。それもひとつの心の圧迫の形です。日曜日に教会に出かけることに良い顔をされないことも、あるでしょう。これも私は迫害、と言って良いのではないかと思います。

山上の垂訓教会からガリラヤ湖

どうしたら、「この世」という天国で幸せになれるか。神様なしには幸せになれません。私たちはどうやって、この世で幸せになるのかと言ったら、神様に助けて頂きながら、こういう人になっていくこと、それが私たちの天国をこの世に作り出していくことと、なるのではないでしょうか。

渡辺神父のそのお説教の後、全員で手をつなぎ、主の祈りをした。ミサを終え、教会に入っていく。ガリラヤ湖を臨む。その斜面に人が押し寄せ、イエスに教えを請うたのか。人々はイエスがいると聞いて押し寄せ、その人たちに、イエスはその頃のユダヤ教の教えと大きく異なる教えを教え始められる。

実はこの「憐れみ深い人」が後々、サマリア人の里を通る時「善きサマリア人の例え」で「隣人とは誰か」とイエスが問う場面を黙想する時に、再び私の心の中に登場する。この時はさほど心にも留めていなかった。ただ、震災後現地に行けなかった私の罪悪感はこの言葉に救われたことは確かだった。

場面を新約に戻してみよう。

山上の垂訓教会庭

なんだか、その光景が見えるような気がした。この教会の真ん中に立っている十字架に、イエスが座られ、この斜面に追いかけるようにして、たくさんの人がやって来る。イエスが、ガリラヤ湖を見ながら、話し始められる。そんな光景をじっと思い描いた。(ら、気がついたら、巡礼団は全員バスの方へ行っていた(汗)からくも最後のひとりにならなかったが)

この箇所を予習していた時実は、「イエスの」気持ちが私には良く分からなかった。教え始めたイエス。だが、次に行く「パンと魚の教会」の箇所を読んでいて、いくつかの場所に目がとまった。マタイでは「群衆を見て深く憐れみ マタ14:14」と書かれ、またマルコでは「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ マコ6:34」、ルカでは「この人たちを迎え ルカ9:11」とある。

パンと魚の教会祭壇アップ

この祭壇の下にある岩にイエスは座り、父なる神を賛美してそこにあったパン5つと魚2尾を群衆に分け与えた、と言われている。イエスは、この時ひとりで祈られていた。そのひとりで祈られているイエスを追って、群衆が押し寄せたので、イエスはその有様を見て、その渇きに応えるべく、座り直されて言葉を発せられたのだ。

この教会は実にシンプルな教会である。華美な装飾はなく、昨日の受胎告知教会にあったようなレリーフもモザイクもなく、ただ床に、パンと魚のモザイクがあるばかりだ。その他にはビザンチン時代のモザイクが残っているが、それだけだ。シンプルな故に、その聖書個所をじっと想うことが出来る。

パンと魚の教会聖堂

イエスは「私は良い羊飼いである」とご自分を言われる。この群衆は、イエスにとって、イエスを慕って来た羊そのものであったのではなかろうか。出エジプト記に通じる部分がある。モーセは、紅海を渡り、イスラエルの民を率いる羊飼いのようにして、民を率いていく。そして、神に賛美をささげ、そのイスラエルの民を養っていく。そしてここはまたさらに、最後の晩餐にまで通じる部分でもある。分け与えていくのである。

少ないものでも、惜しみなく分け与えていくことで、何倍にも膨れ上がっていく。そしてそれは、5,000人の男たちを養うにあまりあった(マタ14:13ー21)主の愛は、それほどに人を養ったのだと言うことが言えないだろうか。

そんなことを考えながら、道ばたにある岩に描かれているパンと魚を見てきゃいきゃい言いながら、次へ向かった。そこで、思い切り、立ち尽くすことになるとも知らずに。

パンと魚、岩絵

次に向かったのは、ペトロ首位権教会である。非常に簡素な作りで、カナやナザレの石灰岩の石造りとは異なり、この地方は玄武岩が産出されることから、黒い岩と白い岩で造られている建物が多い。

ペトロ首位権教会
このように、黒のがっしりした岩の作りになっている。

そして、ここはいわば、イエスの死後、ばらばらになってしまった使徒たちの再結集の地であり、私たちの教会が今一度立ち上がった場所、その場所なのだ。

シモン・ペトロを始めとする11人は、イエスの死によって、行き場を失っていた。彼等が求めていた「救い主」は、ローマの支配からイスラエルを解放して下さる方だった。だが、イエスは十字架上で、死んだ。人と同じように死んだ。マグダラのマリアや幾人かの仲間たちが復活された主に会ったが、彼等にはまだ分かっていなかった。これから先、彼等はどう生きていったら良いのか、それすら分からなかったのだ。ヨハネ福音書21章にそのことが記されている。

ペトロは、漁師に戻ろうとする。彼は妻もあり、このティベリウス湖畔(ガリラヤ湖畔)の村、カペナウム(カファルナウム)に家もあった。数人の弟子も従った。彼等は文字取り、生きる術を失ってしまっていたのだ。もしこのまま、ペテロ始め弟子たちがもとの職業に戻ってしまったらどうだったか。今の教会は、なかったのだ。4月20日のミサの第1朗読の使徒言行録で、ガマリエルがこう言う。「今までにも同じように決起してきたものがあったが、彼等は自然に消えていった。もしこれが神からのものであったら私たちは神に反することになる。だから様子を見てみよう」と。(使徒言行録 5:33−39)その通りだった。ここに神の介入がなければ、彼等はここで、ばらばらになっていたはずなのだ。しかも、ペトロに至っては、大祭司カイアファの中庭で、3度、イエスを否定していた。3とは、ユダヤで「完全」を表す。これは3度という回数ではなく、「知らない」との否定を「完全にした」ことを意味する。この挫折感、悲しみはいかばかりだっただろうか。

だが、そこに神の介入があった。

ガリラヤ湖畔

まさに、ここである。ここの風景が、私の中でこの旅で一番思い出に残る風景のひとつになった。2,000年前と恐らくほとんど変わらないであろうと想われる湖畔の風景。ペトロたちは失意のうちに船出する。そして、帰って来ると、そこにイエスが立っておられる。挫折し、失意のうちにあった弟子たちに、主は、「子たちよ、何か食べるものはあるか」と仰る。不思議なことに、すでに炭火は用意されている。そしてイエスは、ペトロを召し出したときと同じように、再び網いっぱいの魚を、すなどらせる。

首位権教会聖堂

イエスはここ、この石の上で、ペトロたちのために火をおこして待っておられたと言う。

そして。5月25日(金)の福音個所が、ここに当たる。ヨハネ21:15 - 19である。
「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と聞かれるのである。そして、ペトロがイエスを否定した3回に準じて3回、自分を愛しているか、とお聞きになるのだ。最後は「わたしに従いなさい」と、締めくくられる。わたしはここに、イエスのペトロへの愛を見たように想った。自分を否定した回数「愛しています」と言わせることで、彼の心の重荷を解き放ち、最後に、羊飼いの役割を、手渡すのだ。

ペトロとイエス

ここでも実はペトロはまだ、脇見をする。後ろにいる、「イエスが愛しておられた弟子」ヨハネの役割が気になる。彼はどうなるのか、とイエスに聞くと、イエスは「他の人はあなたに関係ないでしょう。あなたに大事なのは、わたしに従うこと。脇見運転をしなくて良い」と笑われる。愛されているということで、ペトロはきっと、羨ましかったのだ。だが、イエスが羊飼いの杖を渡したのは、ヨハネだ。「心配しないで、従いなさい」そうイエスは言われたのだろう。

完璧に、イエスの言われたことを理解するのは、聖霊降臨まで待たなければならないが、ペテロはここで、罪の重荷をおろしてイエスの召し出しに再度従い、バラバラになりかけていた使徒たちはイエスの出現によって、再結集され、今の私たちの教会が、ここから始まる。

救いの始まりは受胎告知教会でのマリアの「はい」、ヨセフの受け入れから始まり、私たちの教会は、ここから始まったと言えるだろう。

ペテロ首位権教会

このガリラヤ湖の風景は、あるがままのように見えた。ずっと、ずっとこのままだったのではないだろうかと想われる。それだけに、その湖畔に立った時、何とも言われぬ思いがした。そこに、ペテロが居そうな。そこにイエスが立っておられそうな。その息吹を感じることが出来そうな。そんな気がして、ただ立ち尽くしていた。

が、スケジュールはいっぱいいっぱいで、そこからカペナウム(カファルナウム)へと向かう。
カファルナウムは、イエスが伝道活動を行った、中心地のひとつでもある。イエスはナザレで受け入れられなかった。そして、このカファルナウムに来て、教えられ始める。もちろんそこには、ペトロの故郷であり、ペトロの姑がイエス一行をもてなしたから、という理由もあるだろうが、イエスにとってここは第2の故郷とも言うべき場所になる。

カファルナウム

当時の住居跡が今でも残る。ここについては、マタイ4:15でイザヤ書が引用されている「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地。異邦人のガリラヤ、暗闇に済む民は大きな光を見、死の影の地に住むものに大きな光が差し込んだ (イザ8:23)」なぜ、この「異邦人のガリラヤ」が、イエスの関心事となったのか。それは、当時のユダヤ教の在り方にあった。貧しいこの地方の人たちは、安息日を始めとする戒律を必ずしも守れたわけではない。当時のユダヤ教指導者たちは、そうした人々を「穢れたもの」として、律法に反するものとして辱める。しかし、イエスが救いたいのは、そうした「手からこぼれてしまった」人たちだったのだ。だからこの小さなカファルナウムの地が「幸いな」光を見るのである。対比できるのは、後に出て来る、「主の涙の教会」で、エルサレムを見たイエスの「おお、エルサレムよ、お前は不幸だ」となるだろう。

そのカファルナウム(カペナウム)で、主はペトロの姑を癒し(マタ 8:14-15/マコ1:29-31/ルカ4:38-39)、その会堂で教えられる。

カファルナウム会堂跡

左に列柱が見えるが、これがその「会堂」跡である。ユダヤ教では、神殿があったところにしか神殿を再建できないことになっている。今見えるこれは、イエスの時代のものではなく、もっと新しいもので、会堂を探そうとするともっと深く彫らなければならないが、この上に乗っているものも遺跡のため、イエスの時代のものを掘り出すことが不可能だそうだ。

ここは、有名な「中風の人を癒す」という奇跡が行われた箇所でもある。

カファルナウムシナゴーグ跡

これは前面に出ているのが、八角形のシナゴーグ跡で、ペトロの家はこの後ろ側にあったと言われている。マタイ2:1-12に詳しく記述されている中風の人を癒すエピソードだが、ガイドのHさんが話してくれてわたしも納得したことがある。ここでは「屋根を剥がし、イエスの前に中風の人をつり下ろした」とある。そうするとイエスはその信仰を見て、その人を癒す。が「人の家の屋根勝手に壊して、褒められたものじゃないような...」と想っていたのだが、この辺りの屋根は茅葺き、草葺きの屋根だったそうだ。なので壊してもそんなに大事ではない...ということ。だが、もうひとつ疑問が産まれた。そんなへなちょこの屋根だったら、上った途端に落ちるんでないかい、ということだが...これは、置いておこう。

カファルナウム。見捨てられた「異邦人」とまで言われた地。イエスはここを拠点とされる。そこにイエスが手を差し伸べたかった人たちがいるのだ。青年ミサでよく使われる憐れみの賛歌に、あんちょの作ったものがある。
「打ち砕かれたこの心を癒すため 遣わされた主よ憐れみ給え
 罪人を許して招くために来られた キリスト我らを憐れみ給え
 父の右に座して私たちのために 取りなして下さる主よ憐れみ給え」
これが、ずっと頭から消えなかった。きっとカファルナウムの人々は律法が守れないことに、どこか割り切りながら、どこか苦しい思いをしていたに違いない。そこに、イエスが真福八端と教えを持って来た。律法によって救われるのではなく、信仰によって救われるのだと。

なんだか、イエスが抱きしめようとした人々が、分かって来た気が、した。

そして私たちは、ガリラヤ湖へ、船出した。
ガリラヤ湖1

結構な波が立っており、しぶきがでっきにかなりざんざん振って来た。
ガリラヤ湖2

実は結構揺れた。こんな時、マルコ4:25-41は、良い黙想の材料になる。私たちがおろおろするほどの波では、漁師であったペトロやアンデレたちは、うろたえないだろう。しかし、彼等はその余りの嵐に、艢の方で寝ておられるイエスを起こし、なんとかしてくれ。という。ここでイエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」とおっしゃる。わたしは、この部分が腑に落ちないままだった。それは、翌日のネボ山でモーセが約束の地に入れなかったのはなぜか、という疑問とも同じだった。が、ここではただ、ただただ、その揺れを感じ、ガリラヤ湖から見える風景を見つめ、ここで起きた多くのことに、想いを馳せた。

ガリラヤ湖3

私たちの教会はここから再出発した。主は新しい教えを、この湖畔でなさった。ペトロとアンデレを召し出し、この湖を鎮められた。そのひとつひとつが、この、ずっと変わらないであろう景色の中で、在りし日の人間イエスとその弟子たちをまざまざと、思い起こさせる材料になり、ただずっと、岸を眺めていた。

ガリラヤ湖畔ギリシャ正教会
湖畔には、ギリシャ正教会の教会や、

ガリラヤ湖畔修道院
エルサレム十字の旗が翻る教会?修道院?と思しき建物が建っていたが、やはり本当に美しい自然がそのままそこにあった。

その後、2,000年前の古代船が発掘された博物館へ行った。
もちろん、ペトロの、とかイエスが乗った、とかいうものではないが、その作り方がまた面白く、先に外枠の木をつぎはぎして、胴体部分を作り、骨を入れると言う作り方、その造船技術の巧みさが見てとれた。そして、船を見ることで余計にガリラヤ湖畔周辺での生活が、リアルに思い描けるようになった。

...ここは写真NGだったので、残念ながら写真がありません。

この2日目は、私にとって大きな意味を持った。
ここ何度か、一番印象に残ったのはどこ?と聞かれる。それはもちろん、十字架を担いだあの道も。マリア永眠教会もあるが、このガリラヤ湖畔周辺は、人間イエスが弟子たちとふれあう様子を、リアルに思い描くことの出来る場所だった。私たちの教会は、ここで神が介入し、なくなるはずだった弟子たちの集団を纏めなかったらなかった。まさにガマリエルの言う通り、神からのものであれば、神の介入によって続いていく集団、だったのだ。

そして、ペトロは、何度も聞かれて悲しくなりながらも、その召し出しに応える。イエスは、自分の役割をペトロに任せる。「他の人はどうでも良いのだ、それはあなたの範疇ではない。あなたはわたしの後を継ぎわたしの羊を飼いなさい」と、仰るのだ。ペトロはそうして、完全なるイエスの否定から救われ、従うものとなる。

目を閉じると、今もガリラヤ湖畔が浮かぶ。
あそこに確かに主はおられた。そして今も、わたしとともにおいでになるのだと想うことのできる場所だった。
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  1. 2012/06/16(土) 19:09:19|
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