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聖地巡礼の旅:1日目(カイザリア、ハイファ、ナザレ)

1日目(現地での1日目ということで)
行程:テルアビブ→地中海を北上し、カイザリア:ヘロデ王の宮殿跡などを見学 →ハイファ:カルメル会修道院にてごミサ→ナザレ:受胎告知教会、聖ヨゼフ教会→カナ:婚礼教会

夜中着いたので、全く見えなかった外の景色を朝起きてから見た。起きた瞬間は「本当にイスラエルにいるのだろうか」と心配になってしまったので、起きてみて周りを見回して、ホテルにいて安心した(笑)

ひとりで参加、というのは私だけだったので不安ではあった。けれどもその日のうちにお仲間のMさん(本渡教会)Hさん(菊名教会)と、3人でこの先全行程で使う聖歌の打ち合わせをし、入祭、拝領の歌、閉祭を決め、答唱の確認をしていたので、少し打ち解けられた感じ。

テルアビブの朝

外を見たら、向こうの方に地中海が見える。歩いていかれる距離だと聞いていたが、その日は朝から出発なので、断念した。これからいくらでも見る機会はあると言うことだったので、急がずに。

今までの出張の時の荷造りスキルがものを言うのはこういうとき。しっかりと必要な洗面用具だけを残し、後はパッキングして荷物を引き取りに来てくれるので、ドアの外に出し、朝食へ向かった。バイキング形式。出ているものがアフガンのホテルを彷彿とさせ、なんだかちょっと笑えた。

ご飯後、手荷物を持ってバスに乗り込み、改めてゆっくりと周りを見回した。先進国、本当にびっくりするくらい高いビルが建ち並ぶ。ジャカルタを彷彿とさせる発展の具合に、ちょっと驚くくらいだった。

渡辺神父様がみんなにくださった「日々の祈り」で朝の祈り。教会の祈りに準じているものも入っていて、一石二鳥とはまさにこのことだ(笑)教会の祈りも持って来ていたけれど。祈りに心を沈めて、これから始まる巡礼へと気持ちを準備する。

次第に車窓からの景色が、砂地に低木、そして砂地の向こうに地中海が見えるように、変わっていく。

カイザリアへ車窓

カイザリアへ車窓2

海の色が見え始めたとき、思わずバスの中から感嘆の声があちこちで上がる。綺麗な深い青に、誰もが目を見張った。

<ヘロデ王宮殿等跡>
そして、カイザリアに着いた。
カイザリア、コロセウム

まず見えたのは、御馴染みの形。ローマでも見た、コロセウムだ。ローマのコロセウムよりも小さいが、ここがかつてローマの支配下にあったことを、如実に物語る象徴的な存在と言えよう。外壁も美しく残っており、ここで何が行われたのだろう、と思いながら炎天下、その壁を見上げた。

ヘロデの宮殿に、このコロセウムがあったのか。

カイザリアコロセウム中

驚いたことにこのコロセウムはまだ使われていると言う。フランスのニームで見たコロセウムもまだ闘牛などに使われていると言うことだったから、2,000年経った今も使えるほどのものを人間は建てたのだということが、いくつかのコロセウムを見て来て実感として湧いた。このコロセウムは半円形なので、闘技場などよりむしろ劇場としての意味合いが大きかったらしい。今準備しているのは私たちの見学数日後に行われるマドンナのライブ会場としての準備のようだ。このコロセウムでマドンナが歌うのか。同時に建てられた当時はどんな演目が演じられていたのだろう。ローマ神話の世界だろうか。

そんなことを考えながら、先へと進んだ。

宮殿跡

そして見えて来た宮殿跡。その宮殿は、地中海を臨む海辺に建っていた。
宮殿跡と地中海

ローマ様式、コリント様式の柱が立つ。石組みが今なお残り、3Dで思い起こすと本当にローマ様式の宮殿であったのだろうことが、良く分かる。今なおのこる、ヘロデが専用で使っていたと思われる、プールの跡。
ヘロデのプール

そしてその床にあった、モザイクの断片。
ヘロデの宮殿モザイク

ここには出ていないが、ヘロデは自分だけの秘密の逃げ道をいくつも持っていたと言う。こんな栄華を誇りながら、ヘロデはそれでも傀儡の王に過ぎなかった。この周辺一帯のユダヤ人の王ではなく、ローマから派遣されて来た傀儡の領主、王に過ぎなかったのだ。当時ユダヤ人はそんなローマ支配から解放する救い主が来られることを待ち望んでいた。イザヤ書にある通り、「あなたを苦しめた者の子らは あなたのもとに来て、身をかがめ あなたを卑しめた者も皆 あなたの足元にひれ伏し 主の都、イスラエルの聖なる神のシオンとあなたを呼ぶ (イザ 60:14)」と記され、ヘロデは「ユダヤ人の王が来るとき、力でねじ伏せられる」ことを恐れていたのだ。

それゆえ、東方の3博士がやってきて「ユダヤ人の王となる方はどこにお生まれになったのでしょうか」と聞いて震え上がって「密かに」彼等に時期を確かめたのだ(マタ2:7)。自分のしようとすることが、律法学者たちに知られてはならなかったから。知られて、ユダヤ人たちに決起されてはならなかったから。そして、「ユダの地、ベツレヘム」に生まれた2才以下の子どもたちを皆殺しにする。エレミヤの預言は、こうして実現する「ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。」

けれどこのエレミヤ書は、マタイの福音書には書かれていないが、こう続く。
「主はこう言われる。泣きやむが良い。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。(エレ 31:16 - 17)」これは、十字架の道行で、イエスがエルサレムの女性たちに言われたことに似ていた。エレミヤの預言は、幼子殉教者の預言だけでなく、この苦しみがイエスの誕生によって成就することをも意味しているのではなかったか。幼子殉教者たちは神の国に入り、天の国で迎えられる。そしてそこで生まれたイエスによって、母親たちにも、救いの門が開くのだ、と。

ヘロデの宮殿を見ながら、いかに彼がローマの傀儡として不安な日々を送っていたかを想像する。たくさんの宮殿を建てていながら、ユダヤ人のメシア到来を恐れていたか。もしかしたら彼の治世中ではないかもしれないのに。そう思うと、地上の権力とはいかに儚いものかと、思い知らされる。

地中海

地中海は飽くまで青く美しく、その息を飲む美しさはそれが「自然の美しさ」であればこそ。そこに目を注ぐとき、天と地、見えるものと見えないものを創造された神の被造物である自然の美しさと、朽ちていくものの儚さ、はかないが故の美しさとを嫌でも思わされた。そんな中でも人はやはり美しいものを作ることが出来る。

水道橋

その自然を、巧く利用するとき、こうしたものができる。このローマの水道橋は、上下水道に分かれており人の知性によるローマ時代の繁栄をよく表すものだ。南仏のモンペリエにも同じ物があったが、やはり見て「人間」が「神の似姿」として造られ自然を利用するようにされたことを思わずにはいられない。

<カルメル山>
そんな想いを抱きながらバスに戻り、今度はそこをさらに上がって、ハイファのカルメル山へと向かった。旧約聖書では、「神の山ホレブ」と記されている。カルメル山、としては列王記(上)18:20に記され、そこで、イスラエルの民がバアルの神を拝んだことで主の怒りを買い、エリヤを通じてその威光を表した場所として記されている。「カルメル山」と書かれているが、実際には山はひとつではなく、山脈として連なっており、現在のカルメル山もその峰のひとつに当たる。

エリヤはバアルの預言者たちと対立し、その粛正をおこなったため女王イゼベルから脅迫されて恐れて逃れる。その道すがら「主よ、もう十分です。私の命を取って下さい。私は先祖に勝るものではありません」と、主にその命を取って下さるように頼む(王上19:4)。もはや先祖の預言者のように偉大なことが出来る力は残っていない、と。しかし主のみ使いが彼を養い、食物と水という「目に見える」養い方をし、また、眠らせて身体の力を取り戻させる。そして、列王記にはこうある。「その食べ物に力づけられた彼は四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。」神は身体を養うことで、心までも力づけたのだと言えよう。これは、主がイスラエルの民をエジプトから連出した時と全く同じ現象なのだ。イスラエルの民は、奇跡によって紅海を渡ったが、食べ物がなく、モーセとアロンに向かって不平を言った。そのため、主はその訴えを聞かれ、マナによってイスラエルを養われた(出エジプト16:4-22)。この時も主はイスラエルとともに歩まれた。エリヤは、自分が主の業を現したと思っていたが、本来は主がご一緒にいたからこそ、できたことだったのだと、気付いたのではないだろうか。

ホレブの山についたエリヤは洞窟に隠れる。
エリヤ

洞窟に隠れている彼に主は語りかけられる。エリヤはもう、自分の命を取ってほしい、とは言わない。イスラエルがバアルを拝み、主との契約を捨ててしまった悲しみを訴える(王上19:10, 19:14)。主が、まだ自分を使われるのかどうか、エリヤは神の手にその判断をすっかり委ねたのだ。今まで主が現れる徴とされてきた激しい風、地震、火が彼の洞窟と主の間を通り過ぎる。だが、聖書はこう言う。「その中に主はおられなかった。」そして主は、「静かにささやく声(王上19:12)」で語りかけられた。今までと違う方法で「直接」語りかけ、それでもなお顔を覆ってエリヤは出て来る。それは、主を見たらその輝きに死んでしまう、と言われていたからだろう。そのエリヤに主は言われる。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。(王上19:15)」と。まだ主はエリヤに役割を終えていないことを告げられる。

そのエリヤに対し、主は希望をもお与えになった。エリシャという後継者、そしてバアルにひざまずかなかった7,000人のイスラエルの民(王上19:16, 19:18)。7はユダヤでは完全なる数字のひとつなので、本当に7,000人だったかは分からない。けれども、言葉と霊でエリヤに臨み、食物を与えて養い、さらに直接語りかけて力を与えた。エリヤにとっては、その先へ進む、大きな力になったに違いない。

現在カルメル会では、このエリヤがカルメル山に隠れたことから、エリヤをカルメル会の創始者としている。実際に彼が隠れたと言われる洞窟は、この祭壇の真下にあり、ユダヤの方々は今でも下の祭壇の方へ詣でると言う。

また、カルメル会はイスラムによる迫害に遭い、隠遁生活を送っていた修道士たちもこの地で1291年、修道院を壊され、殺される。それと前後してヨーロッパへの移住を余儀なくされたカルメル会士たちは、預言者エリヤの精神を受け継ぎながらもその会の始まりの場所を失いかけ、アイデンティティの揺らぎを覚える。1251年、そんな中聖母は当時の総長、聖シモン・ストックにスカプラリオをお与えになられ、そのご保護を約束される。

今、ようやく帰還を果たしたカルメル会のその大聖堂には、そのカルメル山の聖母が、訪れる人々を見守り、シモン・ストックに与えたスカプラリオを手に待っておいでになる。

カルメル山の聖母

最初はその主聖堂でミサをあげるはずだったのだが、巡礼者でざわざわしていることもあり、香部屋を通って小聖堂へ案内された。

その聖堂に入った途端、私は固まってしまった。彼女が、私を「待って」いた。
カルメル会のテレーズ

ノヴェナの結果が、そこにあった。その識別はまたゆっくりしなければ行けないとは思うが、一瞬、固まった。ひるんでいる暇はなかった。その日は朗読をすることになっていたから。彼女を見上げて、助けを請うた。なんと結局、先唱もいなかったので結局、朗読も先唱も両方することになった。答唱にいたっては、詩篇部分は独唱になった(苦笑)しかも、ご聖体とおん血、両方拝領することになった。先唱は初めてで、しかも朗読も答唱も、歌いだしもすべて一人でやったにもかかわらず始終私が落ち着いていられたのは、テレーズの手が私を支えていたから、としか思えない。テレーズが私を動かし、心が静かな中でミサに与った。そして、私の奉献の徴として、スカプラリオを「目に見えるように」出し、カルメル会の色である褐色の服で、ミサに参加した。でも、そんな形がなかったとしてもそれは「私の」奉献であったが、テレーズがそこで私を取り上げ、主に渡して下さったに違いないと、今でも思う。

ハイファからみる地中海

ハイファから見る地中海は美しく、どこまでも青く、人の力を超えた自然美があった。
バハーイ教空中庭園

同時にそこは、バハーイ教の聖地で世界遺産でもあり、このイスラエルと言う地の複雑さをもかいま見せた。

<ナザレ>
旧約の世界であるエリヤのカルメル山から、今度は一転してヘロデの時代に再び戻り、ナザレを訪れた。「すべてはここから始まった」とも言える、受胎告知教会。
受胎告知教会

ちょうどこの巡礼に出る前にスカプラリオ着衣式を行い、マリアに生涯を奉献することを誓ってから、読み始めた本、「マリアの福音」に、こうある。「マリアの身分について、私たちは何も知りません。アロンの家柄の従姉妹エリザベトや、ファヌエルの娘、女預言者アンナとは反対に、ルカはマリアの家族については一言も語っていません。最近では、多数の聖書学者たちは、マリアはダビデの家系には属していないという意見に一致しています。イエスはヨセフによってダビデ家の子孫とされているのです。」

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マリアはダビデ家に属していなかった。しかもこの頃恐らく、14-15歳であったと思われる。にもかかわらず、すべてはここから始まる。私たちの目から見てまだ幼い少女とも言えるマリア。同じ「マリアの福音」を要約してマリアの「はい」の素晴らしさを黙想する。洗礼者ヨハネを妊ることを主のみ使いから告げられたとき、ザカリアは勿体をつけて無理だ、と言い訳をする。「何によって、私はそれを知ることが出来るのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も歳をとっています(ルカ1:18)。」そうして徴を求めるのである。同じことが、アブラハムとその妻、サラにも言える「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「100歳の男に子どもが生まれるだろうか。90歳のサラに子どもが産めるだろうか」(創世記17:11)」「サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた...サラはひそかに笑った。...主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか」(創世記18:10 - 14)」。マリアは、笑わなかった。困惑はした。そして「私は男の人を知りません」と答える。だが、ガブリエルが「神にできないことは何一つない」と答えると「マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)。」徴を願った訳でもなく、不可能だろうと心の中で不信を持った訳でもなく、素直に「はい」と答えたのは、マリアだけであった。
受胎告知教会には、少女マリアの像がある。今までの大人で、悟りを開ききったようなマリアの顔ではなくその顔にはどことなくあどけなさが漂う。

少女マリア像

妊娠の兆候が表れるまで、徴は現れない。不安だったに違いないが、福音の中に、そのマリアの姿は描かれない。だが、すべてはここから始まっていく。

受胎告知教会には聖堂内外に、世界中からのマリアの絵、モザイクが飾られている。数を上げたら限りない。良く知られている無現在のマリアの絵、メキシコのガダルーペの聖母、韓国、中国、タイのその国の衣装を着た聖母、日本の細川ガラシャをモデルとした聖母。
日本の聖母
日本の聖母画

ポルトガルの聖母
ポルトガルの聖母画

ガダルーペの聖母
ガダルーペの聖母画

韓国の聖母
韓国の聖母画

ありとあらゆる聖母画があり、思わず絶句するほど。その昔、と言っても数年前、なぜかアフガン北部でEWTNが見られたとき、ミサ中継の後に、Rosary in the Holy Landというのがあり、聖地の関係する土地を映しながら玄義を黙想していく番組があった。その、喜びの玄義の最初の受胎告知で、この教会が映されていた。いくつも見覚えのある聖母画があり、「ああ、これがそれか!」という感慨深さに包まれた。アフガン北部でしゃかりきになっていた時、毎日のロザリオが私を支えた。聖地への憧れが芽生えたのも、その頃だった。あの頃をも思い出し、心から主に感謝した。

ここは地下にも祭壇がある。地下の祭壇は、マリアが住んでいたと言われる家の目の前に祭壇が丸く造られている。
受胎告知教会地下聖堂
そしてその奥には住居跡が残っている。

主聖堂の屋根は純潔を現す百合の花にかたどられており、ひとつひとつにM、すなわちMariaの頭文字が記されている。受胎告知教会屋根

そして、そこを出てすぐ横が、聖ヨセフ教会になっている。
ここは、聖ヨセフが、イエスの地上での父としてマリアと共にイエスを育てた場所と言われており、仕事場や井戸なども遺されている。だが、ヨセフに苦しみがなかったわけではないだろう。その感情自体は聖書では語られないが、マタイによる福音書では「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した(マタイ1:19)」としか書かれていない。しかしこの頃のユダヤの習慣を考えてみればこれすら大変なことであることが分かる。マタイでは「夫ヨセフ」と書かれるが、ルカ福音書では「身ごもっていたいいなずけのマリアと一緒に」と書かれる。いいなずけなのか、夫婦なのか。微妙な書き方だが、これ自身にすでに意味がある。私の見た「マリア」という映画に描かれていた背景としては、結婚しても1年は同衾することは許されず、夫が新しい家を作り、そこに妻を迎え入れるまで関係を持ってはならないとされている。では、ヨセフを「正しい人」だったので、という所以はどこにあるのか。

マリアを心から愛していたからこそ、表ざたにすることは石打の刑に処し、殺すことになるということを承知していたからそれを避けようとしたこと。それでありながら、律法を正しく守ろうと考えたから縁を切らなければならないと考えたこと。この2つがまずある。狭間で苦しみながら、どちらをも守ろうとしたヨセフのとった決断が、「ひそかに縁を切る」ということだった。だが、生まれる子はダビデ家の子でなければならなかった。それは、メシアはアブラハムの子孫、ダビデ家から出ることになっていたからである。そしてそこに神が介入する。

「ダビデの子ヨセフ、恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである(マタ1:20-21)」夢でこれを聞いてヨセフは、マリアを迎え入れる。マタイにもルカにもこのことの重大さが書かれていない。だが、これは周囲にはヨセフとマリアは律法に反して、期日が来る前に同衾したと言うことを認めた、ということを示すことになり、ユダヤ人の中で後ろ指を指されることとなることを意味する。しかしヨセフは、マタイ福音書に書かれているように、きっぱりとマリアを迎え入れる。それが「神の目に正しいこと」であるから。

聖ヨセフ教会は地下にヨセフの仕事場の遺跡とチャペルがあり、左から、死の床にあるヨセフ、マリアとヨセフの結婚の場面、右に悩めるヨセフと夢に現れる天使のステンドグラスがある。地上の主聖堂は左に死に行くヨセフ、真ん中に聖家族、右に悩めるヨセフと夢に現れる天使の絵が飾られている。

地下中央聖堂
地下中央聖堂

主聖堂
主聖堂

律法に適っていないことであっても、それが神の目に正しいことであったなら、無条件に従う。これがこのマリアとヨセフという「正しい」夫婦に共通していたことであり、この二人が共にあったからこそ、イエス誕生から始まる今日に至るまでの神秘が実現した。この二人が揃っていなかったなら、イエスは産まれて来なかった。むしろ、いわばこの二人は選ばれて夫婦になった、と言うべきかもしれない。

映画「マリア」にこんなシーンがある。ベツレヘムへ住民登録のためにマリアとヨセフが上っていく。その途中、川岸でヨセフとマリアが座りながら会話を交わす。ヨセフが、こう切り出す。
「マリア、君は怖くないかい。神の子の親になるということが。」
マリアは答える。
「怖いわ。」
それに応じるようにヨセフは想いをため息のように吐き出す
「親と言ったって、何が出来るんだ。何もできないかもしれない。何も教えることは、無いかもしれない。」

けれど、聖ヨセフ教会の中にはヨセフの仕事場が遺っており、そしてヨセフを手伝うイエスの姿が描かれている。それはとりもなおさずイエスが「人の子」として生まれ、人間として少年時代を過ごし、他の子どもと同じように両親を手伝って育った、と言うことに他ならない。

聖家族仕事シーン

因に、この地方の家はすべて石造りである。ヨセフは大工と書かれているが、正確には建具屋さんのようなものだったのだろうというのが、ガイドさんからの説明であった。そう言われてみると、確かにこの周りはすべて石造りの建物だった。

そうやって、イエスもヨセフと同じように建具を作っていたのだろう。
ここで思うのはイエスがナザレで受け入れられなかった理由のひとつに、この二人が「ユダヤの律法を破った」と周りから思われていたことも関係するのではないかと言うことだ。まだ同衾することを許されていない時期に一緒になった二人から産まれたイエスを、周囲はどう受け取っただろうか。特に、ダビデ家に属するヨセフの家族がどう思ったか。イエスが教えを伝え始めても、そうそう簡単に受け入れるわけにはいかなかっただろうと言うことが容易に想像できよう。それでもなお、この二人は律法を超えた神の働きに信頼を置いたのだ。

<カナ>
そんなイエスの少年期を過ごしたナザレから少し離れたところにカナ村はある。今もカナ村は、当時の面影を残すかのようにこじんまりとしており、石畳の通り、重々しい石造りの小さな家々と石垣の町だ。石は歩かれてすり減り、てらてらと光って滑り易くなってすらいる。

カナへの道
カナの道

カナの教会
カナの婚礼教会正面

イエスと母マリアは、このカナ村まで婚礼に呼ばれている。一説ではこの婚礼は、母マリアの従兄弟の子の婚礼だったのではないかということだ。そして、ここで、驚くべきことが起きる。それがカナの奇跡である。ヨハネによる福音書2:1-12がその部分を示しているが、その前から黙想すると、すでにイエスの従兄である洗礼者ヨハネはヨルダン川で洗礼を授けながら、自分について尋ねる人にこう答えている。イザヤ書を引用して「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。」と。これはイザヤ書40:3 - 5に書かれている通りである。その前の記述をも、忘れてはならない。「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。」救いによる栄光の帰還の近づいていることを、この箇所は示している。

奇しくもこの後のイザヤ40:6-8は、その日私が読んだ第一朗読、ペトロの手紙(1)1:18-25に引用されている。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし主の言葉は永遠に変わることが無い。」カイザリアのヘロデの宮殿の後は栄華の跡の空しさを留め、神の創られた自然美を際立たせた。そこにすべてを「善し」とされた主のみ言葉が立っていた。

さて、カナに話を戻すと、洗礼者ヨハネはすでにその道を整えまっすぐにせよ、というイザヤ書の通りにしており、エリザベトの胎内でイエスを知ったときのように忠実であった。また、イエスもシモン・ペトロとアンデレを、翌日にはフィリポとナタナエルを弟子としていた。しかし、まだ時は来ておらず、洗礼者ヨハネのもとへ、行く時期ではなかった。カナの婚礼はそんな最中に起きた。

カナ主聖堂

主聖堂にはマリアがイエスに「ぶどう酒が足りません」と言う場面が描かれ、6つの水瓶が置かれている。ユダヤ教では6と言う数字は不完全な数字で、7になるために1つ何かが欠けていることを表す。その「欠けているもの」は何だったのか。色々な解釈が出来る。「不完全」な状態で夫婦になった二人がこれからふたりでひとつとなり「完全なものとなる」ために努力していくということも、解釈のひとつ。そしてそこに、「マリアの介入」によるイエスの奇跡、という介入によって完全なものとされること。これももうひとつの解釈としてある。

どちらにしろ、イエスはマリアにこう答える。「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません(ヨハネ 2:4)。」それでもマリアは引かない。召使いたちに「この人が言うことは何でもその通りにして下さい」と、イエスに全幅の信頼を置いて、そう言う。そのマリアの信仰の故に、イエスはまだ洗礼を受ける前、公生活をお始めになる前に、水をぶどう酒に変え、新郎新婦を恥から救われた。

このマリアの信仰とイエスのマリアへの応え故に、私たちカトリックは、マリアの取り次ぎによる救いを祈る。ここにその原点がある。マリアがこれまで育てて来られたおん子イエス。すべてを心に留め、天使のみ使いによる「神の子」を宿したその時から、羊飼いと東方の博士たちの来訪を受け、それでも人間として育っていく我が子イエスの成長を目の当たりにしながらもヨセフといつか川岸で交わした会話は常に心の中にあったに違いない。だからこそ、発することの出来た「なんとかしてください。」という全幅の信頼を置いた言葉だったのだろう。だからイエスはその言葉に応えられた。私たちが主に全幅の信頼を置き、まったく不安を差し挟むこと無く頼る時、主はその言葉に目を留めて下さる。

私たち巡礼団はここで、3組ご夫婦で参加されている方の婚姻の秘跡の更新の祝福をさせていただいた。
カナ、祝福

私たちも右手をかざして、想いっきり、祝い、祈らせていただいた。お一方、奥様だけが信者さん、という方もおられたが、それでも神父様からの按手を受けられていた。
カナ、祝福全員

聖母の介入が、イエスの心を動かし、公生活を始める前にその力を使われる、ということでイエスはその力を現し、またそれが主なる神の御心に適っていた、ということは言うまでもない。これによって6つの水瓶、という不完全な形は完全なる物となったと言えよう。

そして私たちは、カナの婚礼教会のシスター方が、親切にもこの3組のご夫婦にご用意くださった婚姻証明書を頂き、その日の宿、ガリラヤ湖畔のキブツ(ユダヤ人共同体)のホテルへと向かいながら夕べの祈りを共に捧げたのだった。
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  1. 2012/06/10(日) 22:51:26|
  2. 祈りとともに|
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