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ご復活を迎えて

おかげで、待降節、四旬節、復活節と日本で迎える事が出来、自由にごミサに与る事が出来るようになったのは、本当に有り難い事だと、つくづく思います。

四旬節中は、恵みの雨に晒され、心身ともに神の言葉に養われ、心を新たにして行く事が出来ました。

ご復活を迎え、四旬節中の緊張が一気にほどけて若干燃え尽き気味なところがあるのですが、これもまた厳しくしても行けないと、なすがまま、己の身体の状態に素直に、心だけは神に上げていたいと思っている昨今です。

聖務日課も今週は少し怠りがちでしたが、明日は聖書研究会にごミサの後出席します。楽しみです。

今年は、聖木曜日は府中で、聖金、復活徹夜祭は北町で、復活の主日ミサはイグナチオで与りました。
嬉しかった事が、昨年の震災で折れたイグナチオの鐘楼の十字架が、つけ直されており、
復活の主日に上を見上げた時、主の十字架が、そこにあることが本当に主のご復活を祝っているような
そんな気持ちになりました。

身体は聖木から走りっぱなしで、ちょっと疲れています(苦笑)そもそも夜のミサに出かける事自体が疲れる事なのですが、でも四旬節の典礼に与れる。嬉しかったです。

今年の典礼は私にとって、とても大切なものとなりました。
今年の四旬節は、大斎、小斎を1度も欠く事はありませんでした。ひとえにこれは、母の理解と、私への愛情によるところが大きかったと思います。カトリックの幼稚園に入った3歳の時。聖櫃のなかに居られるイエスへ惹かれた6歳の時。そして、明らかに聖三位一体の神秘を知った10歳の時。母は私のイエスへの惹かれ方に恐れて、私を日曜学校から遠ざけましたが、カリタスのシスター方から私を引き離す事は、できませんでした。11の時洗礼を受けたい、と言って許可されず、18歳までじっと我慢をしました。お茶の水のICCでカトリック用の聖書を買った事、吉祥寺の本屋さんでデ・スーザ神父のご本を買い、慰めとした事。クリスマスの時には、馬小屋を用意しました。18になって、荻窪教会へ行った事が母にばれ、家中が大パニックになったあの日。私は、「主の時」を待とう、と決めたのです。そしてその11年後。イエズス会のバリー神父様の手によって、洗礼の秘跡を受け、「幼いイエスと尊い面影のテレーズ」と、愛するテレーズの修道名をそのまま頂きました。その直後、アフガン復帰が決定し、ご配慮によって、堅信の秘跡を1年早く受けさせて頂き、「マリー」という堅信名を頂きました。そしてそのどちらにも、両親は、来てくれませんでした。悲しかった。でもそれよりも、今は主と共に歩むのだと、聖香油を額に塗られて、しっかりと心にもその十字架を頂いたことを、嬉しく思いました。

イギリス時代、灰の水曜日に灰に与った時、その灰を捨てるに忍びず、ティッシュで拭き取り、それを持ち歩きました。今年も、前髪で隠し、コットンで拭いて、持ち歩きました。

そんな私を支えているのが、祈りである事を、母がおぼろげながら理解しつつあること、また、その私が、確かに信仰の上に立てるようにと、私の戒律を守れるようにと配慮して、金曜日は昼は、健康のために全く抜くことはできないのでダイエットシェイクですませ、朝は父のために、肉が出ますがでも私の分は用意せず、夜は魚にしてくれ続けました。この大斎、小斎を守っている、という喜びが私を支え続けた原動力でもあった、とはっきり言う事が出来ます。

灰の水曜日、額に灰を頂き、「福音を受け入れ、回心しなさい」と言われます。イグナチオでは、四旬節は、Ashesを閉祭の歌で歌います。

We rise again from ashes,
from the good we've failed to do.
We rise again from ashes,
to create ourselves anew.
If all our world is ashes,
then must our lives be true,
An offering of ashes,
An offering to You.

意訳:
私達は灰の中から甦ります。
失敗したたくさんの善意の中から。
私達は灰の中から甦ります。
私達を新たにするために。
もしこの世界がすべてちり(灰)であるならば、
私達のこの命は真実なのです。
私達はこのちり(灰)をあなたに捧げ
私達をささげます

We offer You our failures,
we offer You attempts;
The gifts not fully given,
the dreams not fully dreamt.
Give our stumblings direction,
give our visions wider view,
An offering of ashes,
An offering to You.

意訳:
私達は、私達の失敗をあなたに捧げます。
私達の受けた誘惑をも。
差し上げたかったけれどもできなかったこと
夢見た事けれども、全う出来なかった夢も。
私達の躓きに道を示し、
もっと広い世界を見せて下さい。
私達はちり(灰)を捧げ、
私達を捧げます

この歌ほどの慰めは、ありません。失敗したとしても、その善意だけで主は満足される。
だから失敗すらも、あなたに捧げます。

この気持ちは、この先いつまでも持ち続けていたいと、この10月からの心身共に経て来た苦しみの中で、得たもののひとつでした。祈る事の出来ない私の中に、主のペルソナのひとつである聖霊が私のために祈り続けて下さる。私の失敗すら、その祈りによって新たにされる。それを知った四旬節でした。

そして。この四旬節の業を全うさせてくれた両親。私が元気になれるならばと、これで心が安らぐならばと、心を砕き、それこそ聖ヨセフと聖母のように、私を支え、信仰の上に確かに立たせてくれたその両親。確かにキリスト教の信仰は、彼らにはなくともそこには確かに、聖ヨセフと聖母の姿が、ありました。私の思い上がりを打ち砕くその愛の深さとに抱かれたからこそ、の日々だったのだと思います。

聖金に読まれるイザヤの預言(52章13節〜53章12節)は私の胸を打ちます。
洗礼直後、私は私もイエスをピラトに渡したユダヤ人の一人と変わらない、という罪の意識で秘跡に近づく事が出来なくなりました。私の罪を背負い、私の過ちを背負い、その身ひとつで十字架につけられた最も聖なる生け贄、神のひとり子にして主なるイエス。その罪の重さは、私を押しつぶしました。堅信の時に受けた「私があなたを選んだ」の言葉によって救われ、新たに歩み始める事が出来るようになりましたが、この箇所を読むと、いつもその時の想いを思い出します。主よ、あなたはどんなに孤独で、どんなに悲しく、どんなにお辛かった事かと。あの時は十字架のもとに留まる勇気がなかったけれど、今なら、違います。私は傲り高ぶっていた事を、知らされながらも、恵みによって養われていたと、主は教えて下さいました。

そして主は主の正しい時に正しい人を送り、聖霊によって語られるのだと言う事を、何度も思い知らされました。

府中教会が聖家族教会だったのも、何かの導きだったのでしょうか。

復活節第1週は、身体もえらかったし、疲れも出ました。ミサにも慌ててすっ飛んで行く事がほとんどで、福音を読んで行く事が出来ませんでした。でも、それでも、ミサには出ることができました。

ご復活、最後になりましたがおめでとうございます。
今週は大分えらい週でしたが、来週からまた、Through Him, With Him, In Him, 生きる事が出来ますように。
まずは、今日、Devine Mercy とテレーズのNovenaをして、寝る事にします。

おやすみなさい!ご復活おめでとうございます。
そして

主の再臨を待ち望みながら。
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  1. 2012/04/12(木) 23:08:44|
  2. 祈りとともに|
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まとめteみた.【ご復活を迎えて】

おかげで、待降節、四旬節、復活節と日本で迎える事が出来、自由にごミサに与る事が出来るようになったのは、本当に有り難い事だと、つくづく思います。四旬節中は、恵みの雨に晒さ...
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