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寝る前に。祈りと共に。

昨日、親友のひとりと、がっつり電話でお話をした。

そこでの気付きというか、自分の中で沈殿していて、分かっていたけれど表層に出て来なかった想いが、彼女と話をしていると、きちんと表層に具体的な言葉として出てくるのが心地よい。

「選択している」ということ。
「他人」は、「自分」ではないのだということ。
でも、自分の鏡でもあり、またそれによって「どうすればやりやすいのか」
をきちんと考える「きっかけ」をくれる存在でもあると言う事。
自分の価値観はそれであるのだけれどもそこに「正しさ」は存在しない事。

それだけで、すごく、すっきりとした。

私は、私が「いま、ここ」を、やりたいように生き易いように生きて行く事が「幸せ」のための道なのだと言う事も、言葉にすると簡単だけれど、分かる。

他人への期待、とか、自分への期待、とか。それは「今」でない時間を生きている。今でない時間を「生きている」って、なんだろう、って思うかもしれないけれど、「今」を生き続ける事が、積み重ねになり、私を形作って行く。

さらりとした心になれた。

代母さんとの分かち合いも、とても大事なものになった。私たちの奥底には、堅信によって「神の息吹である聖霊を受けなさい」と、聖香油を塗られたあの日から、聖三位一体のうちのペルソナのひとつである聖霊が、神の息吹を私たちの中で息づかせている。その聖霊といつも繋がり続け、耳を澄ませて行く事で、私たちはまたひとつ、聖性への道を歩み始める事になる。それは「自分」が「完徳への道」をたゆまず歩み続けて行くことであり、神と自分とのそのUniqueな関係性をつねに生き生きとした活気溢れるものへと変えて行く。

私が祈れない時でも、心の奥底で聖霊は私のために、ゲツセマネのイエスのように祈り続ける。

四旬節、「愛と奉仕」と言われるが、「愛」はすべての源。愛が無ければ、どんな偉業も無に等しく、神の目には塵と同じ。だからこそ、すべての行動で己を振り返る。「愛を持って生きているか」私の言葉には「愛」が存在しているか。そう思いながら、人と接する。

金曜日ごとの小斎と大斎を行い、十字架の道行きを行いながら、「愛」は「与えるもの」であることを、思い起こす。私たちも日ごとに新しくなり、新しい命を頂き、歩んで行く。その先に「死」は必ず訪れる。死とは、終わりではなく「永遠の命」への入り口。見えなくなり、触れなくなる事、会話できなくなる事で、失ったと思うけれども、では、私たちの中に居る「イエス」は?「在り続け、終わる事の無い」存在。そのみ手に抱かれる魂たちもまた、同じ。

身体が思うようにならず、行動制限もあるなかで、今一番、何を優先して行くべきなのか。祈りの中に見いだす。

そうした時、心をクリアにし、己の内側を見つめる。己の中に居る第3のペルソナである聖霊に、己を明け渡す。そうすると見えて来る、「今、ここで進みたい方向」。呼ばれている道。その招きに応え、歩む喜び。

真摯にそこに向き合い、己の内側で、いつも私とともにあり、わたしのために祈り続ける聖霊とともに、そこに繋がることは「本当の自己」に繋がる事になる。そこには「愛」があり、「正しさ」は存在しない。

その心を日々、その命を朝ごとに感謝しながら。

教会の祈りの「寝る前の祈り」を唱えて、明日へ備えます。
明日の命、新たに与えられるのであればその命を、「今その時」を生きるために。

神に感謝。
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  1. 2012/03/21(水) 23:01:14|
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