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ここ最近、「原点に戻る」が続いている。
今日も実は非常に素晴らしい私の原点を表現する機会があった。にもかかわらず、それはどうやら失敗に終わったのではないかと思う。自分を見つめる作業が足りなかったな、と今ゆっくり振り返りながら思う。私のメンターにもつい先日「小事を見て大事を忘れる事なかれ」とたしなめられたばかりだったと言うのに。
最近は仕事というものに追われて、自分の「芯」が疎かになっていたからだろう。目の前の仕事、コンサルとしての仕事の中に感じる限界と理不尽さにかまけて、自分の「大義名分」をどこかにすっ飛ばしてしまっていたのではないかと、深く感じている。
私がこの業界に入ったのはただ1つの理由から。
「ひとりでも多くの子どもが、子どもらしく笑える世界をつくりたい。」そして、「世界中の子どもやできごとを、対岸の火事ではなく自分のこととして捉える世界を作りたい。そしてそのためには、隗より始めよ、である」ということだ。でも仕事をするうちに後者の方が大きくなって来てしまっていた。「なんでこんなに、世界の出来事を対岸の火事にしか見られないの?」とか、「研究材料じゃなくて、本当にそこにある出来事なのに」とか。だからこそ「専門家と実務者」の橋渡しの人間でありたいと願って来たのだ。
でもそもそもの大本はここにある。
ひとりでも多くの子どもが、子どもらしく笑える世界を創りたい。
タンザニアで選挙の宣伝をしていた子どもたち。アフガンで渋滞の車めがけて、祝福の煙を持ってくる子どもたち。フィリピンで、ジプニーが停まるたびに、何か売ろうとして走ってくる子どもたち。それとは対照的な、アフガンの学校を訪れた時に、わーっと寄って来る子どもたちの無邪気な目、顔。子どもらしい好奇心むきだしの表情。
仕事に追われて、私はそういうものをひとつひとつ、心の中に刻んでいたにもかかわらず、うまく表すことができなかった。それはそれでもう過ぎたことなので、良いのだけれど、こうして自分の原点を思い出したことの方が私に取ってはショックだった。
今までの自分を振り返ると、それを目の前にちゃんと置いてそれと向き合って走って来ただろうか?
この5年を振り返った。
チャンスがあるなら、それを活かして行こう。でも、それが手からすり抜けたとしても。これから先この私の大義名分を忘れること無く行こう。ああ、新たな明日が始まる。
この世界を少しでも良くするために。
この魂を少しでも、響かせるために。曇りを取り除き、生きたい。
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- 2011/07/25(月) 21:22:02|
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