Tout les jours Bon Chic

毎日少しでもいいこと探し

宗教と名前の付いてしまった信念について。

最近、私の大事な人とこのことでぶつかった。

…誰がどんな宗教をもっていようと構わない。それをRespectするけれど、それ以上ではない。自分は神より人を信じる。

私にとってはそのスタンスに問題はないし(ああ、変な日本語。 It is not a problem for me at all、と言いたいの)、それは、人の「信念」を尊重するという意味で、いいことだと思っていた。

けれども。クリスマスの話になって、そこで見えたのは、やっぱり「宗教」は「宗教」であって、その人にとって「信念」として捉えられてはいないのかな、というところだった。その人のAspectに非常に、悲しかった。

たとえばクリスマス。そう。大事な日だから、例えば彼氏といたい、とか言ったとしましょう。Christianである私にとってはChristmasは非常に大事だから、彼氏がいれば、彼氏とその日をShareしたいと思うでしょう。できれば一緒にミサにもあずかりたいでしょう。でも、その人がカトリックでなければ、きっとそうは言わないと思いますが、教会にはいくでしょう。なぜ?それは、私にとって「信仰」は「信念」だから、その「信念」においてその日は大事だから。

これは、宗教というラベルがついていないものでも同じなんだけれどね。たとえば誕生日。誕生日に彼氏と過ごしたい。自分にとって大事な日だから、その日を一緒に過ごしたい。でも、「家族に感謝する日」という信念があれば、そうするでしょう。…私の中では結局同じなわけなんだけど。

それが、「宗教」というラベルが付いてしまうと、私にとって大事、というところに「宗教」という色合いが付いてしまって、「その日一緒に過ごしたい。できれば、私にとっては大事な日だから、シェアしたい(一緒に教会行ければサイコー♪)」という気持ちが、宗教色を帯びて、狂信的とさえなってしまう。

…まぁね、執拗な勧誘を受けたのだから、そこで悪印象持ったことは、否めないと思う。同じキリスト者がしたことだから、とも思う。

けど。

こんなこと言うのは何だけれど。

私は、信仰とか宗教とか、「宗教」だと思ってない。あまり。周りはそう見ないんだろうけど。これは何年か前にデスと話したな、そういえば。仕方ないんだ、って

私は、「宗教」とカテゴライズされるけれども、私は「イエスについていく」ということは私の「信念」であって、信仰をもたない人の「信念」と同じだと思っている。私の解釈でいえば、たまたま神様は私に「カトリック」における信仰が必要だと思ったから与えてくださった。ただそれだけのこと。だから私は「信仰」という名の信念を持っている。信仰をもたない人は、たまたま神様が、その人には「宗教」というラベルがついた「信念」が必要ないと判断しておあたえにならなかった、ただそれだけのこと。

祈りも信仰も、与えられるものだという。

だから私は思う。私が私の力で、誰かを「キリスト者」に回心させることができるとは思わない。しようとも、思わない。私に触れて興味を持つ人が出るのであれば、それも「思し召し」で、私を媒介として道具として、神様がその人の「タイミング」でその人を、私の「その時」に引き合わせた、ただそれだけのことで、私が何かしたわけではないのだということ。だから、私が無理無理にしたところで、神様の意思が働いていなければ、むしろ私は傲慢なのだと思う。

私の信念には「信仰」として「カトリック」という名前が付いている。だけれども、いや、だから?私が大事とすることには「カトリックだから」ということが多い。きっと名前のお祝い日になる10月1日。聖母被昇天の8月15日:終戦記念日でもありますね。クリスマス、イースター。けれど、それは、確かに私がカトリックだからだけれども、カトリックにとって大事だから、というよりもむしろ、「私にとって」大事かどうか、の方が私にとっては意味があると思うのだ。

…そうなんだけれど、なかなか分かってもらえないよな。

「あなたにとって大事なのは、結局宗教的に意味があるからじゃないか」と言われてしまえば確かにそうだもの。でも、それは「私が」それに意味を見出しているからなんだけど。宗教だから、宗教的に意味があるから、だから、私が「その日誰かと一緒にいたい」と思ったらそれは「あなたにもそれを大事だと思ってほしい、カトリックを感じてほしい」と、言っているわけでは、ないのだけれども。

これが、たとえば誕生日を大事にしない人に「誕生日に一緒にいてほしいの」というのだったら、ここまで拒否反応が現れないんだろうなあ。

…私にとっては同じレベルのことなんだけど。

やっぱり、うまく言えないや。

でも、なんだか悲しかった。結局「宗教」として捉えられているけど、「それがこの人の信念なのだ」というところには、至っていないのだな、と。

私にとって、祈りとは、愛することなんだけれど。
私にとって、祈りとは、赦すことでもあり、
私にとって、祈りとは、愛する人たちに、私ができないことを
 私が信頼する人に託する、という行為でもあるんだけれど。

…仕方ないか。その辺は。

  1. 2007/10/22(月) 01:42:17|
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笑うしかないし(笑)

久々に体を動かしに行きました。

んで、久々に色々と測定をしました。

…どえらい数字でした。

戻ってんじゃん!みたいな。

ええ、ストレスで思い切り食べました。
フィリピンから帰ってきてから、大変でした。

けーどーさーーーーーーーーー。

まぁ。この私が再びジムに行き始めたのは、
実は気持のバロメーターとしてもいい感じなわけであって
結局かなり「元気」だからそっちにも気が回るようになったわけです。
ジムに通うようになったっていうのはそういう意味で。

…でもさー。
気に食わないんだよねー。
「あんた太ってきたからやせなさい」的な彼女が。
「うちの中で努力してないのあんただけだから」みたいな。

…ええ。

腹立ってきた。

…せっかくいい気分だったのがもったいないので置いておきましょう。

あふ。上がらないし。

ま、いいや。今日はこれで寝るとしましょう。

  1. 2007/10/10(水) 00:03:10|
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コンサルという世界、「開発」という業界

PCM研修以来、色々なことを考えています。

ひとつわかったのは、私はこの1年近くでコンサルとしての考え方、ODA関係者としての考え方、というものに本当になじんできたのだということ。

それと、ある意味自分の選択は間違っていなかったのだということ。けれど、そこからどう広げていくのか、どう方向付けをしていくのか、ということはこれからまだまだなのだということ。

私は、Specialistであろうと思って、教育が国の発展の武器になりうると考えてここまで来ている。もちろん今は、ITやったり保健やったりしているけれど、私の根幹は「教育」にあって。多くの国々が強かにこのglobalisationの中を生き抜いていく大きな力になる。そう思っていて。ただ、これはソフトの部分なので、ハードとしての入れ物の整備はまた他に問題があるわけで。

あふっ。これを語り出したらきっと切りがないなぁ。

私は、実はとても人付き合いが苦手だったがゆえに人脈を作るのが苦手な人で、かなりな部分で色々損をしていると思う。社会人になって初めてそれが…押し寄せてきている。だから残念ながら大学院時代にうまくつながった人がいてもその人と切れてしまっていたりして、非常に残念なのですが。

語りたいなあ、こういう話(笑)

やっぱり色々な理想ってあるのだけれども。

私は今のところは「Specialist」であり得るのはコンサル的な関わり方なのではないかと思う。ただ、そのアプローチの方法はいくつもあると思うし、アプローチする対象(なんかこういう言い方非常に傲慢で嫌なんだけれど)も色々あると思うのだ。

今年度の国際協力キャリアガイドに、うちの会社の「若手」として、見開きで載せてもらうことになって、8月末に原稿をあげた。その中で私は自分が「Development」の中で生きるとはどういうことなのか、ということにちょこっと触れてみた。案外いい言葉が出てきて自分でもびっくりしているけれど。

その国について、彼らの現状については彼らが一番知っている。そしてそれを生かす技術を私たちが持っている。だからそれを上手に組み合わせてその状況を彼らにとって良い状態になるように、歯車を回すこと。それが、「開発」という仕事ではないかということ。

プロセスにかまけて、最後の目的を見失うな。いろいろな障害はあるけれども、自分の目的を見失うな。それが、会社に入ったときに言われたことだった。

Set your goal, and make it your pleasure.

SamのTrick。そういうことなのかもしれない。

だとしたならば、私のgoalに近づくために、今コンサルをしていることはきっと良いことなのだと、思う。

  1. 2007/09/24(月) 20:20:16|
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そんなこと、言ってはみたけれど。

己の弱さを知り、それを知ってなお、闘い続ける。

それが、修練闘士だから。

己の無限の可能性を信じ、自分の可能性を高め続けること。


闘い方は、まだ知らない。
いつか、己の闘い方を、知る日が来るのだろうと思います。

武技言語は、修練闘士が使ってすら、不完全です。
その不完全な技を、完全にするのは意志の力。

私にはまだ、その意志の力すらない。

闘い方を教えてくれていた師は今、私の元を離れ、
己の闘いに挑んでいる。

主は、超えられない苦しみを与えない。
苦しむときこそ、チャンスなのだと。

私は、私の命を生きたい。ただそれだけ。

生きていると、感じる日を信じて。

  1. 2007/07/06(金) 20:07:38|
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フィリピン便りその6:1ヶ月の総括=落ち込み気味。

久々に、セヴァール・エレ・ラグ登場です。

まぁ、有体に言えば壁にぶつかったわけです。自分、っていう。

正直、色々なファクターが集まって軽く集中力障害気味なわけなのですが、私という人間なのだと、それでよしとしてきたわけです。なんとかそれでもやっていこう、と。

それが、色々な要素が絡まってしまって、悪循環な方向にしか自分が向けないことに、非常な苛立ちを感じているのですが。

「一生懸命、っていえる人はいいよな」

と、思います。正直。

一生懸命やっても、周りの「一生懸命」のレベルと私のレベルが違うので、結局のところパニックになっておたおたして一生懸命やっていても、それはだめなわけです。

…根本からどうにかしないといけないわけなのですが。

それは内的ファクターなのですが。

心を入れ替えて…ではなくて、「心を癒して」やらないと、私の場合非常に無理があります。反省して心を入れ替える、というのとはまた別の部分で。

社会人としてやっていくのに危機感を覚えるときもあります。実際問題。

自分の問題に目を背けるわけではなく、「それも私の一部だから」と受け入れるつもりでやってきたのですが、浮上してきた「付加問題」がそれを押しつぶしてしまったわけです。

このままだと、多分私、萎縮して立ち上がれなくなってしまう。

自分の中で、何が私をこうしているのか、分かっているのです。それを、何度どうにかしようと思ったか、しれやしません。このvicious circleから抜け出すにはどうしたら良いのか。

…正直、私には分かりません。

何年これで苦しい思いをしているだろう。人は誰でも苦しい思いをしていると思います。

ここで「生きている」、「私の命」を、この手で生きてみたいと、思います。

どうにか、しないと。ね。



  1. 2007/07/06(金) 19:40:21|
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悲しいときに

久々に、涙がこぼれそうなくらいに悲しいいざこざ。

ああ、どうしてわかんないんだろう。正しいとか間違ってるとか、そういうことで全てはかれるわけじゃないんだけどなあ。

そう思うことしきり。

どうも昨日の夜、ちょっとボタンを掛け違えた辺りから、気持ちのサイクルが踏み外し気味。最近珍しい。多分、気持ちのたががゆるんじゃったんだろうと思うのですが。

でも、今日みたいにマイナスなことにしかならない相手には、わかってもらおうとかそうじゃないとか、もうそういうこと以前に、少し離れているのがベストだと思いました。

こう、書いていても、なんか違う。うまくいえないなぁ。

今は、ひとりで立てるようにならないといけない。
いつかのために。

私のこの手はあなたに繋がり、
そして私たちの繋がれた手の中で、
私たちの愛はSafe。

フェデリングの、私なりの解釈。
やっぱりフェデっていいねぇ。
何度観てもため息が出ちゃいます。

…ってなんでもいいんだけどさ。

今日は、なんだか、悲しい気持ちがいっぱいでした。

疲れてるのかも知らん。
ゆっくり寝よ。

  1. 2007/03/06(火) 00:17:51|
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最高の治療者、ガウ・バン

我がガウ・バン殿に数年ぶりの大掛かりな治療を施され、迎えた月曜日。大量の荷物と月曜日のラッシュ。

…あの、左のどてっぱらに傷を負った日から数年、こんなに「普通」な日は多分なかったんじゃないかと思う。

うん、おめーはやっぱりすげーよ。

と、エレ調に言って、言い逃げしておく。



...言い逃げっていい言い方じゃないなと思った。

言いたかったことが言えてないし。

ええ、出張明けの初出勤、ラッシュ、大荷物。
それなのに、帰ってきてもまだしっかり大丈夫。
電池切れになってない。

自分の中できちんと循環しているのが分かる。
ぷつん、と穴の開いた円形ホース…
みたいなことになってない。

それが普通なはずなんだけれども、
ここ数年でこの感覚はなかったから、ともかく。

…腕はやっぱりきちんと専門を身につけたのもあって
さらに伸びてるとしか思えない。身体の疲れ具合が違う。
作ることを知らないから枯渇する、んじゃなくて
多分それだけじゃなかったんだろうと思う。

本当に、治療でこれだけ大掛かりなことをされたのはきっと初めて。
自分のダメージを知り尽くしている人間がいると前線に出やすい。
まぁその分無茶するようになったけど。

でも、これからはそうそうその治療も受けられないから
いのししのように突っ込むのはやめようかと。

  1. 2007/02/06(火) 00:50:39|
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A Shout from my soul

... Be strong.

Its too hard if you are forbidden to call somebody who is just in front of you, who is just there you know, only because of the authority's force, though both of you want to call and talk each other.

How much the world wants to have separation?
How much the world wants to have this grief?

... sorry, I shouldnt have talked to you... forgive me, and I wish you would never have harmful thing from my attitude.... I just forgot, because I was too happy to see you safe, there... God, please save the person.

This is just such a grotesque grief.

  1. 2007/02/05(月) 00:36:54|
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宣言。

…で、このカテゴリ…エレさん。分かる人には分かるこの矛盾!

はい。

禁酒はしません(つかできないこと発覚。もう会社全般に知れ渡っている(汗))。新年早々、実は友達にいっちゃったんだけどさ。

節酒します。

はい。
この前上司の家での新年会でできたのが
・ビール350ミリ缶1本
・ワインをグラスに半分
これで5時間。

これを基準にします。

高校時代のプチ同窓会では1滴も呑みませんでした。

まぁ…イスラームでは、ちょうどそろそろ犠牲祭(Eid)だった。というのもありましたが。色々考えて豚も食べませんでした。

ゆくゆくは禁酒します。会社でのイメージ…を少しずつ変えます。3年後には「呑まない」を許してもらえるように…。

ちょうどいいですよね、アフガン。イスラム国だから酒ほとんど買えないし。

ということで今年の抱負第2弾でした。

  1. 2007/01/04(木) 01:24:52|
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自分管理という目標。

エレさんのカテゴリにするほどのごりごりではないのですが。

今年の抱負。

自分管理をしっかりすること。

時間の管理
仕事管理(キャリア設計ともいう)
お金の管理

今年は「目標」を「達成するぞ」な年にすること。
自分を管理する、マネジメント能力を上げる。
そんな年にしたいと思います。

なりたい自分を見つめてそれに近づく。
今までの行き当たりばったりの私ではなくて。



  1. 2007/01/02(火) 00:35:17|
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