Tous les jours Bon Chic

毎日少しでもいいこと探し

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新しい年。

正月2日。

祖父母詣で(+α)をして来ました。
我が家は喪中のため、初詣に行かれない。熊野さんは、父方の紀伊熊野さんの御支社なので詣でたかったのですが、喪中とあってはそれも叶わず。その代わり、正月早々に祖父母に去年の一切合切を報告し、今年一年「みーまてぃうわーりょー(見守っていて下さいね)」と祈って来ました。ついて早々に風が吹き、蝋燭をつけると同時に風がやみ、お祈りを終えて顔を上げると風が吹くという、なんとも不思議な感覚。

2012年が余りにも激動の年で、善きに付け悪しきに付け大きな出来事が多く、がんがん揺さぶられる1年であったので...2013年何が来ても怖くないぞ(汗)と良くも悪くも思っていますが。

みなさまどうぞ、今年も宜しくお願い致します。
決意表明するようなことはありませんが、病気快癒を祈りつつ。有泉が吞めるようになったらいいなあ。と思ってます。まずはそれが1番よね。1番の目標は身体の回復です。今はまだ仕事量をセーブしていますが、できれば...とっとと仕事量を元に戻せるようにしたいと思います♪

どうぞ宜しくお願い致します。

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  1. 2013/01/03(木) 21:58:25|
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2012年

2012年。2011年の爆発から少しずつ少しずつ、前へ進み出して、ここまできた、結果的に言えばなんだか分かんないうちに進んでしまった年。自分にとってこれほどのイベントフルな年もそうそうありませんでした。多くの出会い、そして別れ。再会。


初詣はポリ着物でしたが、市松の着物で。
正月初詣


まず、新春歌舞伎から始まりました。(哲、チケットありがとう〜)
羽子板

「通し狂言 三人吉三巴白浪」
「奴凧廓春風」

新春歌舞伎

そこから、後厄のお祓いにも。行きましたねえ...。
大国魂神社

このころはカーネーション(朝の連続テレビ小説)にはまり、久しぶりに前髪を作ったのでした。

そして、梅を観に。

梅見

生憎の雨。でも綺麗でした。で、イチゴをこれまで食べたことが無い、というくらいたらふく食べて 
イチゴ狩り

偕楽園へ。

梅

そこで何とか良い写真を撮りたい!と頑張っているところに、

写真のオジサン

この方と立ち話をしてしまったのが運の尽き。カメラが欲しくなりました(笑)

4月。イスラエルへの聖地巡礼決定。
三線のお教室にも個人レッスンから、少しずつ全体レッスンに戻り始め、9月の25周年記念公演を目指そう、ということになっていって。

ちなみにイースターの日、お教室の花見だったので教会の友達も連れて訪問着で突入。
訪問着で花見に乱入

花見に友達を連れて

そして、満を持して買ってしまったミラーレス1眼。最初の被写体はやっぱり、桜。そこから、どうせ撮るならと、桜の有名な母校の周辺へ足を伸ばし、ひたすら写真を撮りまくりました。

まずは駅前の、「ここと言えばこれでしょう」という写真から、
国立駅前

頑張って桜吹雪を撮り、
桜吹雪

わんこを撮り
わんこ

桜を撮り...。
桜重なり

...そして、今年私が与論へ帰る切っ掛けとなった、パラジの兄(やか)との何とも言えない邂逅。その舞台は、与論地主神社の次男がやっている、中野のaman。兄弟姉妹が生きていない私にとって、初めて「兄」と呼ぶことを本当に赦される存在でした。...迷惑かけ過ぎているきらいはありますが。

amanにて

それから、面白いように色々な道が開けていきます。ここからゆっくり上り調子になっていき、良い感じに復調しながらイスラエルへ。

この旅行についてはとりあえず3日目までは旅行記(汗)それ以降はあまりにいっぱい過ぎて書けていませんが、1年経っちゃう前になんとか形にしたいものです。...しろよ。
この巡礼旅行で、初めての聖地を踏みしめ、「人間イエス」を肌で感じ、人として生まれ、人として死んでいったイエスを想い、十字架を担いでヴィアドロローサ(悲しみの道)を歩んだ時こぼれた涙。イースターの時感じた、私の奥底におられる主の側に、今度は私がいて差し上げたいと思いました。

エルサレム


巡礼旅行 3日目
巡礼旅行 2日目
巡礼旅行 1日目

ちなみに、この時一緒に行かれたご夫婦で、行きも帰りも仁川空港からテルアビブまでお隣だったFさんの旦那様が、この12月9日に帰天されました。Rest in Peace。

それからはひたすら25周年記念公演に向けての練習をがしがししていました。それに加えて、なんと、国士舘大学のツアーに乗っかって、初!与論へ帰島。台風のため、遅れることになり、国士舘の子たちには申し訳なかったのですが、盆前に間に合わせるために急遽飛行機でひとり先乗り。祖母の話でしか知らない与論の地に足を下ろした時には、感極まって半泣きでした。(ちなみに飛行機の直前まで宜野湾で泳いでいて、その時の日焼けがひどいことになった...のは不覚の極み)

海の青さ、風の匂いや音、人の繋がり、食べ物の味。生き物の気配、自然の姿。
言葉では言い表すことの出来ない、魂の底からの身震いがするほど「帰って来た」という生まれて初めて感じる既視感にも似た安心感。初めて会う親類たちの顔、声、存在そのものがただただ愛おしく懐かしく、自分のどこにこんな姿が隠れていたのかと思うほど。

フバマ
喜山の一族が命を繋いだ地、フバマ。

星空
初めて自分で撮った星。

ブルームーン
8月のブルームーン。

寺崎
寺崎海岸

アマン
アマン(やどかり)

ここから東京へ戻って初めて南洋浜千鳥の「旅宿の寝覚み」の辛さというのを知りました。

そうして迎えた9月9日。

島唄の響き

憧れの舞台に、姉弟子、兄弟子たちと立ちました。
片峯教室

そこからはなぜか怒濤のように舞台とライブを繰り返し、3ヶ月で結局この25周年記念を含め、4つの舞台で三線、三板、唄をやりました。

そして11月。職場に復帰。

色々な葛藤もあったし、上下もしました。身体も心も激震(笑)な1ヶ月目でした。そんな中でもライブを決行したりして。でもそんな中、カルメル会の黙想会に助けられ、乗り切った1ヶ月。

カルメルからの富士山
カルメルの私の部屋からの富士山

そして、始まった待降節。11月の葛藤を胸に、それこそ待降節本当に「待ち望む」季節を過ごすこととなりました。黙想の内に祈りのうちに。全くの沈黙のうちに痛みと乾燥を抱えたまま、幼子イエスを待ち望み、当日まで本当に葛藤の中、過ごしました。けれどこの無味乾燥の砂漠が、本当に大切なことを気付かせてくれる、実り多い黙想でした。幼子イエスが確かに私の心に居られるあのゲツセマネのイエスのように、私の心にいらっしゃるのだと、感じることのできたクリスマス。

カルメルの馬小屋
こんなに沈黙と、無味乾燥のうちに迎えることができ、かつ閑かな喜びがあったクリスマスは本当に初めてでした。

そして、年の暮れを何で締めたかと言うと。
ツタンカーメン展

これ。中高時代の私をご存知の方なら覚えがあるかも。私、召し出しに応じてこの道に進む前、エジプト考古学に進むつもりでした。そしてそれはこの、ツタンカーメンとその兄(と言われていた。今は父であったことが判明している)アクナテン(アメンヘテプ4世)のこの時代、第18王朝時代が好き過ぎて。アマルナ美術、アテン信仰と言った面白い変化のあった時代。

そして、感動したのが。

黄金の厨子

これ。
これの全面に、アンケセナーメン王妃と、ツタンカーメン王の仲睦まじい様子が描かれています。王妃が花を差し出したり、王が王の前に腰掛けている王妃の手に水を注いでいたり、王妃が王の襟飾りを直していたり。ずうっとずうっと見たかった、ツタンカーメンの宝物のひとつ。
(もうひとつは、黄金のせもたれのついた肘掛け椅子で、これも背もたれ部分に、アンケセナーメンとツタンカーメンのレリーフがされています)

こうして、2012年の最後を、大好きなエジプト考古学の世界で終わることが出来てとっても幸せでした。もう既にやっぱりヒエログリフは読めなくなっていた(涙)けど、今でも大好きです。

細かいことを挙げていけば本当に数限りなく今年は色々なことがありました。
でも私の人生の中で、ひとつ、大きな節目の年であったことだけは間違いないでしょう。
有難う、2012年に起きたすべての出来事、出逢った、別れた皆様。
そして来る2013年がまた素晴らしい年となりますように。

  1. 2012/12/31(月) 23:38:44|
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修練闘士として(その2)

最近の巻は読んでいないので、飽くまで陰流の使い手である、という意味でのShadow Skillとしてのエレ、というところまでの頭で(あ、でもクリムゾンの娘かも?というのは入るか)。私は「闘士」としての志の高いエレが好きなので。

そう。エレは、陰流といういわば「生まれ持った」バックグラウンドがあった。が、そこを捨ててなお、エレは自分が正しいと信じるものに忠実に強くなっていく。強くなると言うことは同時にGがそうなっていったのと同様、破壊を産む素ともなる。だがその心の強さ故にエレは修練闘士として、闘士の「心」を失うことなく、また己の「陰流」ではなく「クルダ流交殺法 影技(えいぎ)」の使い手としてその強さを積み重ねて行く。

その心が傷ついていないはずはなく、哀しみや苦しみを背負っていなかったはずは無い。

それでいながら、一歩、足を踏み出して行くのだ。

優しさは盾になり 強さは剣になる。
嘆きの中 希望の中 命の意味を覚えて、伝説を始めるのだ。

私には「闘士(ヴァール)」の仲間たち、また仲間以上の存在がある。

形にはしないが、命を預けることも厭わない。
どんな状態でもどれだけ遠く離れていても信頼ができる。

向き合うのではなく、背中合わせで立っている。
互いの顔を見合わせることもほとんどない。

修練闘士としてこの命を戦場に咲かせることが使命ならば、
エレにとって、ガウが何だったのか、ヴァジュラが何だったのか、問う必要はないだろう。
彼女の闘士としてのその心、戦いに向かうその姿に倣えばいいのだ。
痛みも恐れも捨てて、命の重みと温かみを覚えて。

そう。はるかに続く時も永遠にはなれない。
やがてはこの手を離れ、すべては行くのだ。
それでも、その刹那にすべてを賭けて。

「覚悟を、決めろ」ーエレ・ラグ 第59代修練闘士「影技」


  1. 2012/10/26(金) 22:49:08|
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修練闘士として。

久々に影技 (Shadow Skill)を持ち出した、ということは、武技言語を習得する必要性にかられていると言うことだと、ご存知の方はお分かりのことと思う。

大事な物が出来ると、帰ることができるため人は強くなるかもしれない。

だが、それを失う恐れのために闘士(ヴァール)としては弱くなる。修練闘士(セヴァール)たるためには、そこはもっと大きな視点で闘いという痛みの中に身を投じて行かなければならない。

戦場への復帰を目の前にして、ぬるま湯に浸っていてはいけないのだ。

今、万全の状態で戦場へ戻るわけではない。それこそ手傷を負い、この病の原因であった傷を自らこじ開けてしまったに等しく、神人/闘士の一族として恥ずべき姿を晒している。エレは、闘いという痛みをも己に取り込んで、それでもなお修練闘士として戦場へ赴く。その傷を己の筋肉の膨張で塞いで。

私はそのエレが好きだった。

だが、頭につきまとう。ガウという存在は、エレにとって何だったのか。

再び己の戦場へ戻る今、エレに問いたい。

エレにとって、ガウはなんだったのか、クルダとはなんだったのか。そして、ヴァジュラとは、どういう存在だったのか。それを持ってしてなお、強く前へ、戦いの場へ出ることができたのはなぜだったのか。私はその「クルダ」を持ち得なくても修練闘士たることはできるのか。

文字通りの「戦いの場」へ戻りたい。

それが私の「戦いの場」なら。

  1. 2012/10/24(水) 21:15:05|
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本当に大切なもの。

島で見つけた私。

くしゃくしゃの顔で笑ってました。
周りを気にせず、大声で笑ったり喋ったり、泣いたりもしました。
誰も気にせず誰にも気にされず。

初めて会うはずのパラジ(親戚)の前で私は、何時よりも素直に
おおらかに笑って、悔しがって、一瞬一瞬を大切に生きました。
これが私の姿なんだ。って。

私にとって一番大切なものって何だろうか。

渡海や隔じゃみてぃん 照る月や一ち 彼方ん眺みゆら 今宵ぬ空や

あの島のあの風とあの海のあの波。
HomeがあるからAwayで闘えるのか。
でもどれだけ離れていられるだろうか。

置いて来た心の欠片が、泣いている気がします。

  1. 2012/09/13(木) 22:03:52|
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逡巡

キャラクターでカテゴリを分けていたものをやめて久しいのですが、なぜかこのエレ・ラグと、エル・ウッズ、ふたりのElleは残っているという(笑)しかも両極端に等しいという...。

巡礼の記録を続けたいのですが、1日1日があまりに詰まり過ぎていて(苦笑)一気に行けません。

さて、病気療養を始めてはや8ヶ月です。発症しておよそ1年が経ちました。まあ、一番思い知ったのは、自分がどれだけ自分を酷使していたか、ということですが、その根底には非常に深いこの仕事への喜びがあったから。

が、今、振り返るのです。エリヤの姿に自分を重ねて。カルメルの山で、エリヤはバアルの神が私たちの神ではない、ということを証しして、イスラエルに対して、神に立ち返れ、と呼びかけます。彼を養い、強くしていたのは彼を満たしていた神の霊。それが証拠に、イゼベルから脅されたエリヤは、木の下で主に命を取ってほしいとまで言ったのです。カルメル山に立ち、エリヤの像を見てその苦しかったであろう思いを、思いめぐらす。預言者聖エリヤ、父エリヤ、とカルメルの会員たち、接触者、志願者たちはエリヤに祈ります。彼は列王記上17章に突然現れ、その後2章の間、力強く闘い、ソロモンの主への背信から始まるイスラエルの反逆の歴史に歯止めをかけるべく、奮闘する。その彼が、たったひとことのイゼベルの言葉で、なぜそんなにも恐れたのだろうか。

それは、彼に「希望」が与えられていなかったから。彼は必死に闘った。その後何が起きるのかを考えずに、必死に、イスラエルを主に立ち返らせようと。そして、気付いたら干ばつが終わっており、イゼベルに脅されていたのだ。彼はそこではたと立ち止まってしまったに違いない。自分のしてきたことを振り返ってこれ以上のことを今後できるだろうか、と思ったに違いない。「もう無理だ。今までやって来ただけで十分だ。もう、終わりにしたい。もうこれ以上私にはこの嵐の中を進み、主の道をこの頑なイスラエルの民に告げ知らせ立ち返らせる力は出ない。」そう思った彼の思いが我がことのように思われる。この先何があるのか、彼には分からないままがむしゃらに進み続けた。そして、立ち止まってしまったのだ。進む方向が、分からなくなって。光が、ないように思われて。

でも実は、光は彼の中に、あった。それは彼を支え続けた神の「霊」。炎のように燃える必要がなくなったとき、その光は、身を潜める。しかしその中にずっと、燃え続けているはずなのだ。ホレブの山で、彼はきっとそれに気がついたのだ。だからもう、彼を主がどう使われたいのか、そのみ手に自分を委ねることができた。

私は今、ホレブの山に隠れるエリヤのように思う。

振り返れば、私がいかに祈っていても傲慢で己を信じていたか、主ではなく己の力を過信していたかが見える。私を支え続けたのは私に祈りがあったからで、必死になって私を支える、母テレジアと、テレーズの愛があった。テレーズは己の姿を現しすらした。あり得ない場所に、あり得ないタイミングで。

私は今、呼ばれる時を待つ、隠れるエリヤのように思うのだ。

主は、大いなる食物と飲み物で私を今養われた。
失われたと思われていた絆は取り戻され強められ、私は我が来し方を知る旅に、8月末に出る。
私の地上の頸城は、恐らく遅かれ早かれ取り去られる。時が来れば。
また、準備が不十分だと自分で思っていた私を主は密かに、秘密のうちに準備されて
ガリラヤ湖畔で、私に声をかけられ、またベロニカの布で顔をぬぐわれるように私に十字架を担わせた。
アフガニスタンで私をどのように養ったかを、エンカレムでお示しになり、愛して下さった。
取り戻された絆と、新しい絆の架け橋となり、そこに失われていた絆を取り戻す道具としてくださった。
魂に音楽の命を吹き込み、踊りでその喜びを表し、祈りが私の歌声になる。

しかし主は、まだ私を呼びだしに来られない。
激しい風にも、雷にも、火にも、地震の中にもおられない主。

召されればそれが私の生きる道。
私は、あなたのみ旨に生きたい。だから私はあなたを待ち続ける。
ホレブの山の洞窟に、隠れ続けるのです。

でも主よ、この手を、取って下さい。
私の手は、あなたからの食物に満たされ、すべてあなたのものです。
私自身があなたのものです。だからこの手をこの暗闇で引いて下さるのは、
あなたしか居ないことも、私には分かっているのです。
いつか天の国であなたの顔を覆いもなしに仰ぎ見るまで、
この手を、どこへでも引いていって下さい。

でも主よ、早く、この手を取ってほしいのです。

それとも主は私にまだ、私はまだホレブの山に着いていないと、私を眠らされるのでしょうか。

  1. 2012/06/18(月) 21:57:23|
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これからが本番。

前回の日記にも書いたのですが、病身にて休養中です。

ようやく、今の治療が一段落つき、新しいステップに進む事に。
ただそれは今の薬の限界が来た事でもあり、これからは
自分の身体と心の力を信じて行かなければいけない、ということでもあります。

もともと強めの薬を使ってきたということは、公衆衛生分野で、
なぜか薬剤系の知識を深めて来た自分でも認識しています。
自分が各国を回る中で症状を抑えるために使って来た薬よりも
はるかに効率も効果も高い、ただしそれだけ強い、ということも。

その薬で抑えられる限界が来て、そこにさらに自分の力が戻って来たからこそ、次に進めるわけですが。
この先は、自分にまだ戻って来ていないけれど残されているはずの力も使いながら、
やっていかなければなりません。

長い闘いになる事は覚悟の上。
でも、自分の身体が戻ってくれば、副作用も減るはず。
こんなに免疫力が下がって、毎週のように風邪をひく事もなくなるはず。

世界中の友人から、同僚や友人づてに私の病を知り、メールが入ります。
心苦しく思う事もあるけれども、有り難いです。

修練闘士の端くれですから。
行くしか、ないでしょう。これからが、本番です。


  1. 2012/01/13(金) 17:32:01|
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わけわかんないです。

平和な週末を、とりあえず取り戻して、
土曜日充填したはずの体力と気力を再び取り戻します。

ラオス便りをお楽しみくださいませ。

とりあえずは何とか寝ます。

ひとつ去ったら、またひとつ、ってのはこりごりです。

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  1. 2010/07/18(日) 02:19:02|
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自分との闘い

やっぱり、近しい人ほど、見ているものだと思いました。
コミュニケーションという口実の下に、私が押し付けていたのは
私が闘うべき闘いを、逃げるための「私を肯定して!」願望。

…キモいわ。

ここ数週間のこのジレンマは、きっと、そろそろ、
その他人による肯定という縛りから自由になるための時期が来たことを、
私に教えているのかもしれないなぁと。

そんなものなくなったとき、もっと自由に飛びたてるに違いない。
過去、色々ありました。確かに過去の積み重ねで私は生きているわけだけど
そんなもん、言い訳にしかならない。今ここを生きているのだから、
人は毎日生まれ変わるものだから。その人次第で。



明日。相方に電話しよう。で、謝ろう。

6日間、話したかったから。不安になったから。何度電話しても、出なくて、悲しかったから。
嬉しかったんだけれど、何でこんな不安な思いをしなきゃいけないんだ、って思ってしまったから、
ちゃんと話が出来なくてごめんなさい。怒っちゃって、ごめん、って。
それで、お願いしよう。

もし、missing callが何回もあったら、1回でもいいから、ちょっとでもいいから、電話して、って。
大変なのは分かってるけど、お願いしてみよう・・・。やっぱり、これは、疲れちゃうから。


  1. 2010/04/17(土) 03:07:54|
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心の徴 濃紫 豊かに匂う桐の花

サブタイトル:始めるに遅すぎるということはない

…長い前置きになりそうなので、先に本題を。

落ち込んでました。凹んでました。
このプロジェクト、思い入れがあるのに自分の力が追いつかなさ過ぎて、
自分の無能力さをひしひしと感じて、自分の中途半端さに、落ち込んでました。

その時届いた1通のメッセージ。
54期白の(彼女は卒業期は違ったけれど、私の中では、白の仲間)同級生から。
彼女自身を綴った日記に、私が送ったメッセージへの返事でした。
それを読み進むうちに、逆に自分が励まされていることに気がついて。
そして、その彼女の日記にたくさんの人たちがコメントをしていて。
同期の桜ならぬ、同期の桐。
ああ、なんてこうしてひとりの同期の苦しみに寄り添うことの出来る人が多いのかと。
そして、桐朋っ子たちの、時空を越えた繋がりに、自分がそのつながりの一端にいることに、
涙が出るほどの感謝を感じてしまいました。
私が帰属意識を感じたところは、やっぱり桐朋と、そしてIOEでした。
大学時代は、大学というよりは研究室の方が帰属意識が高かったから。
中高の時には、悲しい想いもしたし、苦しい想いもしたけれど。
でも今となっては、幸せだったこと、楽しかったことも思い出します。
アフガニスタンというこの空の下、砂嵐は吹き荒れるわ、パソコンやらプリンターはすぐだめになるわ、
一流高級ホテルにねずみがいるわ(笑)な国で、なんだかひとりぽつねんと落ち込んでいました。
一人ぼっちのような気がして。

でも、ツイッターでも呟いた途端、Maicoが即反応してくれて。
今この瞬間、地球儀を作ったら、きらきらと輝く桐朋っ子たちがあちこちで頑張ってるはず。
ひとりじゃないんだ。そう鮮やかに感じてしまいました。涙が出ます。
中高時代はそんなに仲がよかったわけではない同期、同級生たちでも、
久々に出会うと、あの空間、あの一生懸命な時間を共有した、ただそれだけで無条件に繋がれる。
そんな繋がりが本当に素敵だと思います。
そして、そんな風にして繋がれる煌きを持っている桐朋っ子たちに、心から感謝です。
54期白、バンザイ。桐朋っ子、バンザイ。ありがとう。明日からまた頑張ります。



私、本当に中途半端な徹底の仕方をしていると、いつも思ってきた。

どこかで、何かが間違ってしまって、どこでどうボタンを掛け違えたのか知らないけれど、
必死な本気になることって、本当に少なくて、ってか「あるのか?」くらいの勢いで。
そんな自分が嫌でいやで、仕方なくて。でもどうにかごまかしながらここまできてた。

知ってる。

どこかで、そんな自分がばれてしまうであろうということも。

仕事するようになって、同年代の人たちと同じプロジェクトに入るようになると、
そんなのは明らかに目の前に差として出てくる。
それは避けようがなく、目の前に突きつけられる。

…一生懸命やっていないつもりではないのだけれど、それは一生懸命と呼ばないのではないか。
私の一生懸命さなんて、彼女らに比べると…。
人には人のペースがある。自分のペースで一生懸命ならそれでよいのに、
好きなことをしているのに、なぜかレースをしているようなそんな気になっていた。
これまでの中途半端のつけを払っていることが分かっていて、その差に愕然としていた。
そんなのが苦しくて、苦しくて、重くって、潰されそうになっていた。
そんな時に、相方だった同業の彼が、落ち込んでいるのに分かっているのに、
彼女らはすごい、と言って、私に対しては沈黙した。それがさらに私を重くした。
そんな状態で、ずーーーーーっと来ていた。何年も。
私の一生懸命は、価値がないようにすら感じたことも、あった。今もある。

どうしたらいいかなんて、分かっているんだけれど、頭がすっきりもしない、苦しいまま。
苦しくて、悲しくて、焦りすぎて、一生懸命自分を大きく見せることを考えていた。
悔しかったんだと思う。今にして思うと。

始めるに遅いことはない。

私、今好きなことをさせていただいている。やったらよいと思うことは全部やってみたらいいのだ。
張子の虎な自分に怖がることなく、素直にやってしまえばいいのだ。
資料を読むことも。飽きるかもしれないけれど、大事だと思ったら最後まで読み通す。
一生懸命に、下準備をする。知らないこと、分からないことは聞けばいい。
時間の無駄だといわれても、連れて行ってもらえばいい。
時間はかかるかもしれないけれど、「仕事になる」程度まで妥協して、時間を惜しまずにやればいい。

…そう。

せっかく好きなことをさせてもらっているのだから。
こうして、好きなことをするチャンスを天から頂いているのだから。
何が出来るか、私にできること、良いと思うことは何でもやってみたら良いのだ。
人と比べてどう、ではない。今、私は私を成長させる。
今、私はこうして前を向いていく。

どんなに頑張っても彼女たちに追いつかない、そう思ってぺしゃんこになっていた。

彼女たちには追いつかない。だって、私とは違う人たちだから。
私はきっと私のできることがある。一生懸命やっていれば。
せっかくいただいたこの命、自分の命を生きなければもったいない。

私、ひとりじゃないから。
この空の下に繋がる不思議なつながりを思い起こした時、勇気が湧いてくる。
単独100m、頑張って走りました。60ハードル、結局こけたけど、ようやったと思う。
ラムタムタガーも…やりきりました(笑)まだまだ色々思い出す。
…なつかしいのは、Victoria Racksmore男爵夫人をやったESSのドラフェス。
本当に、タイタニックから逃げ出して、夫(笑)が沈んでいくシーンでは、
舞台袖で泣き崩れそうでした。

ああ。頑張ったじゃん、私。

あの時は、誰かと比べてなんかいなかった。
足も、単独100をやるほど速いわけじゃなかったし、ハードルだってなんでなったのか不明。
でも頑張って走りました。結果悪かったけれど。膝も、すごく痛かったけれど。
タガーは、本当に、ロンドンキャッツを一生懸命思い出して頑張った。
ビクトリアは…冗談抜きに死ぬ気でやりました。

過去を積み重ねてきて、今ここに私がいる。
たくさんの人に助けられて、支えられて、今ここに私がいる。
そしてその私が背中を押す。後ろには、私がいる。

ありがとう。あなたの日記が、私の背中も押してくれたよ。

ああ、最高。

明日から、がらりと私が変わるわけではないだろうけれど、
それでも今の私は、とても、心のどこかが幸せです。

桐朋っ子バンザイ。
ありがとう。


  1. 2010/04/12(月) 02:39:57|
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