Tous les jours Bon Chic

毎日少しでもいいこと探し

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来たよ(汗)

さて。4ヶ月後のコンクールの予定がはっきりしたと同時に、
その位にはなんと、いきなりでーんと代理を務めることに。


自信?んなもんハナからありません。

...上司をストレスで殺さなきゃ良いけどな(汗)本気で。
その前に自分がまたキレるんじゃないかと...

ああああああああ。叫びたい。



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  1. 2013/02/25(月) 22:32:17|
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バレンタインかあ。

とあるところに出す予定のバレンタインの荷物が遅れています(汗)

バレンタインかあ。

...今年はそこ以外、出す予定はないので「全く」考えませんでした。
去年...も出さなかったな。

一昨年...あー。日本酒あげた。

...なんだかんだ、あまり考えたことの無いイベントな気がします。
今年は灰の水曜日の翌日だったので、そこまで固執しなかったし。

バレンタイン...。


......あげることにわくわくしていた時代が恋しいですねえ(苦笑)

はい。

  1. 2013/02/16(土) 23:12:02|
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車に乗りたい。

最近、車が欲しい...と思い始める。

着物生活をしていくとしても、車って多分、楽。地下足袋履いてしまえば恐らくアクセル操作もそうそう大変ではないはず。今プリウスに主に乗っているので、もし持つとしたら、プリウスがいいなあ。と思う。まるっこいフォルムもなかなか好き。

ハイブリッドなので、電気とガソリンと両方使うため、時折バッテリーの方からぐおおおおん!と、エンジンを噴かす音がする(汗)最初のうちは慣れなかったが、今は「ああ、バッテリー頑張ってるねえ〜」くらいにしか思わない。トップスピードに持っていくのもそこまで大変じゃない。

エンジン音が極めて静かなため、ランサーに乗っていた頃に比べて加速の時の音が聞き分け難くて最初はやっぱり戸惑ったけれど慣れて来るとその微妙な違いにも慣れて、スピードを保つ時にトップスピードに入ってからアクセルを緩める時一瞬緩む音も聞き分け易くなった。それと、室内が静かになるので集中もし易いし、声も聞き取り易い。周囲の音もきちんと耳に入る。これが素晴らしい。

後、最近の車はやっぱりトランクを内側に入れている車が多いけれども、そうするとルームミラーで見られる下限が広がる。特にプリウス君は、ちゃんと下の方までウィンドウになっているので、非常に分かり易い。いいなあと思うのだけれど。うーん。

  1. 2013/02/10(日) 23:32:00|
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南洋浜千鳥節

旅や浜宿ぃ 草の葉の枕 寝てぃん忘ららん 我家ぬ御側
旅宿ぬ寝覚み 枕側立てぃてぃ 思び出すさ昔 夜半の辛さ
渡海や隔じゃみてぃん 照月や一ち 此方ん眺みゆら 今宵ぬ空や
柴木植いてぃうかば しばしばといもり 真竹植いてぃうかば またんいもり

今日、先生が、「気合いが入ったね」と来ました。

分かるからかね。やっぱり。

  1. 2012/09/06(木) 21:29:08|
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わーちゃぱーぱーぬ欠片:おばあちゃんの欠片

与論へ行っていて、今さっき帰京しました。「帰郷」ではなく。

那覇経由で、29日旧盆直前に空から入って、ものすごく忙しい(笑)数日間を過ごしました。

自分がゆんぬんちゅであることを、これほど有り難い「当たり前」の中で感じることが出来たのは生まれて初めてでした。今までどこに行ってもホームシックにならなかったわけが、ようやく分かりました。

これからはずっとホームシックです。帰るまで。

不思議なことがありました。

祖母の形見の指輪をつけて最後数日島を回りました。
祖母が回ったであろう場所。私に見せたかった百合ヶ浜、赤崎海岸、寺崎海岸、フバマ。城地区。
私にとってのたったひとつの形ある祖母の形見でした。だからこそ、
「おばあちゃん、帰って来たよ。」と。祖父方の親戚筋回りも、つけて行きました。

それについていた石が、まさに与論を離れるために乗船する前に、落ちていました。
そんなに簡単に落ちるような構造になっていないはずなのに。
今までどんなにつけても落ちることは無かったのに。

祖母が、帰りたかったんだと思います。
そして私の心の欠片も、置いて来たんだと思うのです。

お帰り、おばあちゃん。心の中で、そう呟いて、
「私の心もここにおばあちゃんの石と一緒に置いて行くから。
 また、いだ きゅんどー」と、心の中で声をかけて、船に乗りました。

むーる、はみんしゃい。
わーちゃ ゆんぬ、わーちゃ ゆんぬ ぬ ぴとぅぬ美らさよ。

今はただ、空を見上げて泣くばかり、です。
おばあちゃんを与論に帰してあげられて良かった。


  1. 2012/09/05(水) 02:56:56|
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独り言。

ようやく色々な数値の安定し始めたこのごろ。
浮腫も、以前に比べて治まるのが速くなって来たし、いわゆる自律神経失調症みたいな症状も治まり、
肝機能が復調して来た、ということが自覚としても出て来た。助かる。
疲れの取れ方は薬の副作用もあってイマイチなところもあるけれども、それでも、以前に比べて、
長時間の移動+シャトル的な作業も割と無理なくこなせるようになってきている。

時間を取って、という作業になると、未だに疲れが出るのが早い。
ここは、資料はフォトリで乗り越えて行こう。と、思う。
大丈夫。私には、色々使えるものがあるはずだ。

問題は...(笑)キャッチボールをする相手が少ないことだな。

でも。きっと大丈夫だと思う。
だって、根拠の無い自信ほど強いものは無いから。

顔を上げて、空を見上げて。

あの日見たガリラヤ湖を、いつまでも、心に。

ようやくここまで来た。動かない身体。悲鳴を上げていた内側の傷み。
ごめんね、私の身体。こんなに苛めてしまって。

健康であることって、本当に大事なことなのだ。
そう、思う。

うん。
大丈夫。笑顔でまた、突っ走れそうだ。

  1. 2012/08/22(水) 22:00:04|
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収穫の秋に、来た道筋を思い直して備忘録。

オリンピック。London。

マラソンコースを見ながら、見慣れた町の見慣れた風景が目に飛び込んでくるのを不思議な気持ちで見つめていた。Cityに入った時や、St. Paul'sを見ながら、航空写真を見ながら。自分の住んでいた寮は閉鎖された。それでもあそこはまだ自分にとって、2年過ごした大事な場所だ。

そろそろ色々な不具合が起きて1年以上が経つ。去年の今頃は発症初期の症状に気付きながら無理をして頭に色々なことを叩き込んで来た。自分なりの立ち位置、と言うものがまだ確立できていなかった。つーか、あの状態でできるはずがない(笑)

開発コンサル、という仕事は不思議な仕事だ。他の国では知らないが、日本では不思議な仕事だと思う。

それはひとえにコンサルタントが「高度な専門性と、適度な広がりをもった専門家集団」でなくなりつつあるからだろうと思う。だが、単なる「専門家」というのもコンサルタントにはなり得ない。コンサルティングとは何か、を根本的に自分で考えて、それを実践できるようにならない限り。

なぜそうなったのか。そして、そこから「どこへ」向かいたいか、そして「どう」向かって行くか。それをいわゆる「クライアント」と共に考え、時に助け舟を出し、時に彼等の知恵を借り、練り上げる未来。それがただの「開発」ではなくDevelopmentという自発的、内発的なものも、それから外からの刺激というものに対応することもできる柔軟さも兼ね備えたものを通じて、Amartya Sen言うところの「Feedom」へと向かうツールへとして行くその力。

教育、というフィルターから「人材を育成する」という部分に自分がシフトした時のことを思う。

教育は大事だ。当たり前だが。この「教育」というツールの使い方ひとつで国を変えることも可能だ。だから私はEducationに焦点を当ててこの柱をメインに走って来た。が、教育、は「育む」ことでもある。識字教育プロジェクトに関わり、地方で聞き取りをしながら、女性たちが何を思ってこの識字教室に通って来ているのかを考えていた。自分の子どものため、という人もいたし、旦那さんから言われて、という人もいた。

はっきり言ってレベルは思い切り低い。STEPのフェーズ2の時にマザリシャリフやジャララバードを視察に行ったときに、教員用指導書を使っている教師といない教師で格段の差があった。実際に思うように使えていなかったとしても使っている教員と使っていない教員ではその内容に既に違いがあった。それは、言葉がわからなくても見ているこちらがいわゆる授業計画を目で見て、観察して、取れるか。目的を持って授業をしているか、それが明らかかどうかの一言に尽きる。が、識字教室の場合そんなものはないし相手は成人が多い。

じゃあそこでなぜ字を教えるのか。読み書き計算をさせるのか。

人は財産なのだ。かけがえの無い、一番大事な国の宝。人のために国が存在しても、国のために人は存在しない。

そこを取り違えてはいけない。
そう考えたとき、ただEducationに凝り固まっていた自分が、変わった気がする。「国のために」、と言うのではなく「自分の愛する国をより良くするために」支える人材が必要だ。愛する国とは自分の大事な人が守られる国だ。だからこそ、「国を良くして行く」という考えが大切だし、そのためにどんな国づくりをして行くのかを考えて行くことが大切になる。そしてそこには教育も欠かせない。そのための教育を考えられる人材を作る必要も、ある。

今の日本もそうだが、公務員の給与をカットしたり不要なほど低く抑える、これはどうなのか。疑問が大きい。特に被援助国ではこれからの国の未来を支え得る人材がいわゆる国際組織に流れて行く。各援助国はより良い人材の確保にやっきになっている。法外な月収で。これは、その国に対するNeo-colonialismを助長することになりはしないか。しかも長期にわたるプロジェクトだと、彼等はそのプロジェクトに依存し、その後の未来において、彼等自身の生活水準の基準が変わって来はしないか。当たり前だが彼等が公務員になろうというモチベーションはない。現状を知っているから、援助機関に現地スタッフとして雇われた方が楽だからだ。

...矛盾していないか。

この矛盾を責任を持って受け止めて、最後に自分たちが失業することを目指してコンサルティングをする。Exit Strategyを持ってSustainabilityを考慮してすべてのプロジェクトを実施していくことができなければいけない。理想だが。

長く一緒に働いているスタッフを育成しながら、思うのだ。
この子が、この子たちが、いつかこの国を支える人になってくれますように。

だから、就業時間外の進路相談にものってしまうのかもしれないが(笑)

「教育」この言葉は諸刃の剣だ。その国の置かれた状況、国際社会の中での位置づけ、立ち位置、そして狙いたい長期スパンでの国づくり。これをセンが言うところの自由、へ向かわせるDevelopment。ここへ持って行くための人という力へ注力する。これはどの分野でも。

まあよくも、思うことをただ徒然と書いたものだ(苦笑)と思うが。備忘録なので良しとして。

ホレブの山から下りたエリヤはその命尽きるまで、自分の召し出しに忠実に生きる。エリシャという後継者を得て、7,000人のイスラエルの民を残されて、託されて。

私はまだそこにまですら至っていないが、さて。どう歩いて行こうか。
「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ」。
この声の聞こえる限り、私は自分の選択に悔いることはないだろう。荒れ野だろうと、オアシスだろうと、同じだ。

  1. 2012/08/08(水) 09:48:52|
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神戸へ行って来た。

大学院時代、つまりイギリス時代からお世話になっている同業の大先輩、私にとってはメンターのような存在の方が、面白そうな会合に招かれていることを知り「面白そうですね〜」と反応したら、そこから「では、来ませんか?」から始まってしまった。

神戸(汗)

うーん、っと...。うん、いや、フィリピンよりは、近いよな。

海外の移動は慣れているのだが、なぜか国内移動に慣れていない私(汗)
海外への移動は割と即決できるのだが、なぜか国内移動になると躊躇する私(汗)
言葉通じるのに...って問題はそこじゃない(汗)

人見知り根性丸出しです。誰に言っても信じてもらえんがな。
言葉が通じるからこそひとつひとつの言葉を大事にするとコミュニケーションがえらいことになる。それが原因で隠れ人見知りです。しかも、とある大学院でやっている集中講義にも来いとのこと。
この方は、ある意味非常に温かいが、さめた部分も併せ持つ非常にユニークな方。即断即決、行動力の塊のような方であることは間違いない。非常に「引っ張る」強さを持っていらっしゃる方だが、人を見る。私の場合、正面対決していただけるのは非常に面白いと想えるタイプなので、私が自分のロジックが通らなくても割と凹まない希有な相手。

私が昨年倒れて緊急帰国する前、様子を察知して何とかならないか、気にかけて下さった方でもある。そして帰国後、起き上がれるようになって、家族以外で初めて「会いたい」と近場まで訪ねて下さった方だ。過労でぼろぼろになっていた私を見ても、心身共に持ち直すのを、ただ黙って信じて待っていてくださった。今回、その時のことをちょっと話す機会があった時、「酷くありませんでした?」と聞くと、きわめてクールに「いや、芯はそのままでしたよ。どうなっていようと、あなたはあなたです。僕はそこを見間違いませんから。」泣くかと思った。

ちょっと前にごたごたと身内であったため、取り敢えず直前まで保留、と言うことにさせてもらった。が、前日そのごたごたにもようやく一段落がつき、ものは試し、と一念発起。

朝から東京駅に向かう電車が止まるわなんだわで、午後1番で着くかどうか、と言う状況の中出かけた。なぜかバティックのワンピースと言う、意味不明な格好で(笑)

向かいながら一番苦手な産業経済の本をフォトリする。...活性化は後回し。

講義棟へ向かい、エレベーターが来るのを待っていた。開くと...中からSave the Children Japan時代の同僚(というのか?)が出て来た(笑)かれこれ数年ぶりにワシントンで再会して以来、その数年後にようやく比較教育学会で再会、そしてなぜまたここで、と、笑うしか無いタイミングで再会。ひとしきりそこでしゃべっていると、メンター、I氏の姿が。なんと、2人とも互いがこの大学に在籍していることを知らなかったと言う(笑)世界は狭いようで視野が狭いだけなのかもしれないと、自分も振り返って想う。

そして、聴講する講義へ。と、そこでいきなり恒例の1分間自己紹介を振られる(笑)来るかとは想ったが来たか。と、30秒超かな、と思われるタイミングで。後で聞いたら47秒だったそうだ(笑)

スライドはやはりいつもの通りだが、いつも手が加えられているのをこの数年感じる。聞きながら、自分の頭の中がようやくこの業界のモードにシフトされていることを思い知る。ああ、やっぱりホレブの山を下りる時期だったんだなと、軽く苦笑しながら自分を振り返る。氏のスライドはFriday Worldの頃から核は変わらないが、手が加わりより丁寧になっている。ということは、そうする必要があると言うことか?日本の大学院の教育はどうなってるんだ?と思う。2年あるのに、実践に近いことはされないのか。イギリスはTheoreticalな側面を大事にする反面、実践は、「すでに経験がある」ことが前提なため、Methodologyはそこまで掘り下げられないが、その重要性については嫌というほど指導教官から突っ込まれる。従って、やっていない所謂新卒の学生や、研究経験のない学生は必死になって学ぶしか無い。その中、Pat Pridmoreは参加型アプローチのプロジェクトについて非常に実践的な講義だった。お陰で、という言い方もおかしいかもしれないが、PDMを見ても全然戸惑わなかったし、PCMなんて、割と普通に取り込んだ。このままでは、結局、比較教育学会で感じたことがそのままだ。アカデミアと現場のギャップはますます広がる。

これを「どうしたら解決できるのか」を考えられる専門家が減り、
コンサルは「コンサルティング」ができないロジ屋が増えて行く。

これは、泉ちゃんとも危惧していること。私は現場に身を置き、彼女はアカデミアにいる。そのうち、じっくり話し合いたい内容だ。本当の意味で言うなら、ここに産学連携が必要だ。と声を大にして言いたい。

各Working Groupを回った。アフガンのCorruption/ベトナムのHigher Education/スリランカのIndustrious Dev't.。各々テーマは、軽く実務家から見れば突っ込みどころ満載だ。アフガンのCorruptionについては、イスラエルをやるには日本人は宗教的バックグラウンドの「理解」が足りないので、アフガンで正解だろうが、Corruptionを正確に定義できていない。何を持ってCorruptionというのか。そこの定義が出来ない限り、プロジェクトなんてできやしない。ベトナムのHEは、なんで「ベトナムだったのか」が希薄だった。正直ラオスでやってほしかったな。難しいと思うけれど。本来の意味での社会主義の中での教育という意味を考えると。ま、資料は少ない。だからこそ独創性が試されるのだが。スリランカ組は、見ていていわゆる、Project Purposeから、Objectives, Outputsに降りて来る時点で、Instrumentsの捉え方にずれが見られたが(敢えて指摘せず)。流れとして捉えられていることは間違いない。Goalが大風呂敷で面白かった。Objectivesをどれだけ絞れたかが鍵になるな、と見る。

日本人の大学院生たちは、いわゆる業界の「用語」が出てくることが多い。それの「このContextの定義」を十分決めていられない、描けていない部分で。研究方面の思考なんだな。実践になると、何がリスクか、それを回避するにはどうするか、問題点は何か、それをクリアするにはどうするか。もっとDown to the Earthなことを求められて行く。今すぐに身につけろ、とは言えないがこのコースで少しなりとも考えられる切っ掛けとなったらと思う。

正直、UN系のインターン、しかもいわゆる現地事務所ではないHQや、いわゆるRegional Officeに当たるところでの業務は現場に出さないし、数字をいじらせる仕事が多い。それよりももっとプロジェクトの現地に入ること、かなりな頻度で行くこと、それをしないと実践が出来るようになって行かない。この子たちが卒業後どういう道に進むつもりなのか。それも凄く気になるところだった。

国際協力、という言い方も色々賛否両論だ。「共存」という言い方が強者にしかできない言い方であるのと同様「協力」についても「支援」を都合良く言い換えているだけだろう、という問いは常に頭を離れない。Development、は「開発」ではない。内的発展を包含するものだ。そこにどれだけの子たちが気付いているか。たかだか30そこそこの自分たち(現場に入る時)が、人生の大先輩方に、ただ「日本人」なだけで頭を下げられるその「責任」を受け取っているか。想像できるだろうか。そこで「専門家でござい」という奢った考えで現地に入るようではこの業界に居る資格は無い。それが私の持論だ。

答えは飽くまで彼等の中にある。問題意識も彼等の中にある。コンサルティングとは、そこを具体的にし、彼等の感じる限界を自分の持つものでぶち破る手掛かりを与えることができる「可能性」を持って行うもの。そして彼等の行きたい方向を共に「同胞として」、同時にある距離を持って模索し、彼等が続けて行くことの出来る形で実現して行くことだ。だから専門知識としての「理論」と、現実を見つめ、そこを捉える「現場の勘」を磨いて行く必要があり、さらに「柔軟性」が求められて行く。

インテンシブな4時間...だったが、自分の中で色々なことがきちんと回り始めていることを確認できた日でもあった。体力が戻って、無理に眠らせて来た部分が熟成すれば、戻れる自信も出た。ま、後は身体だわな。今回は泊まることを断念した。翌日は倒れることが容易に想像ついたので。案の定翌日はぐったりだった。

そして。

神戸。あの日のことを忘れることは無いだろう。あの日の母の背中も。
帰宅しながら、一通のメールを、岩手へ向けて打った。

忘れまい。
あの活気を。

さて、そろそろ産業経済を、考えましょう。
フォトリの活性化も、した方が良さそうだな。

  1. 2012/08/06(月) 22:07:27|
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失語ということ

今、読んでいるのは、パラジ(親戚)のやか(兄さん)の書いている本、


奄美自立論 四百年の失語を越えて奄美自立論 四百年の失語を越えて
(2009/03/17)
喜山荘一

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です。3年前がちょうど薩摩が奄美群島を武力制圧して400年。

私も、与論を語る時どう語っていいのか分からずにいました。
「沖縄」ではなく「鹿児島県大島郡与論町」。
ではヤマトなのか?と考えると、違う。

なぜ、わーちゃゆんぬ(我が与論)と沖縄の間には「境界線」が存在するのだろうか。
それは返還の時に引かれた境界線、「北緯27度線」があるからか。
特に、私の母方の祖父の一族は沖縄から渡って来た一族ですから沖縄との間に違いがあることが不自然。

なのにこの「不一致」感はなんだろうか。

やかの書いているこの本を読んでいて、その線引きはもう400年前から行われて来たのだ、
そしてこの境界線はその時から引かれて来たのだ、だからこそ返還が「琉球弧」としてひとつでなく、
奄美群島と沖縄では分かれてされたのだと、今更ながらに納得が行き、
歯噛みする思いでいっぱいになっていました。

人の言葉とは、不完全なもので、同じ言葉を話す人ですら通じないと思うことは多くあります。
ましてや自分がネイティブでない言葉であればなおさらです。
時折「沈黙する」ことがより良いように思われることもあります。
特に、カルメルの黙想会での数日の大沈黙は、こうして言葉を書き綴ることも無く、
ただチボリウムの前に座り続ける日々を過ごし、口を開くのは祈りのためのみ。
この方が良いのではないかと思うことすら昨今は多くあります。
天に帰ったら、人はきっとその思いを思うがままに言い表すことが出来るのではないかと。
そう思うと、天の言葉を早く話せるようであれば良いのに。と思います。
それでなければ言葉とは何のためにあるのかと。

けれどこの失語の歴史を見ると、沈黙してしまうと失われて行くものが在る。
いまここに確かに形は無いが在るものが、沈黙してしまうことによって消えて行く。
それは、確かに良いことではないように思われます。
琉球弧という文化圏と共にまた「奄美群島」の失語を知ってしまった以上、
わーちゃゆんぬの形の無いがここに在る魂を消す訳にいかないのではないか。
そのためには、言葉と言う不完全なものであっても叫びを上げなければいけないのではないか。

そう思うのです。

失語の現実、重み。
今まで感じて来た違和感、どこに所属しているのか。奄美群島とはなんなのか。
それが悲しみのうちに口を閉ざして来たという歴史の中に見えた時、
自分の中に脈々と流れるこの血のぬさり(宿命)を肌をふるわせて感じてしまうのです。
それと同時に、その叫びの不完全さをも思うと、どんな叫びを上げたら良いのかすら、分からないのです。


  1. 2012/05/24(木) 23:08:13|
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久しぶりのフルマップ。

今回、心身ともにリハビリを進めるために、「病気になってしまった自分」にショックを受けたこともあり、そっちのリハビリも始めています。いや、病気になるなんて、なるまで思ってなかったし。丈夫だけが取り柄、と思ってたし。

今まで想像以上に緊張しきっていた身体と心と。まあ、多分に昨年は本厄だったし、最初の3ヶ月で色々あり過ぎましたね(苦笑)ようまあ、ロケット砲が落ちた日も、冷静に現場をさばいたわ、自分。仕事上ではこの2年で自分の進路や、コンサルタントとして、初の重圧ある「陰の番長」的ポジションについたり、「現場で、カウンターパートと向き合う」ことを思い切り真剣に取り組み、しっかり耳を傾け、共に苦しみながら、ぶつかりながら、たまには叫び合いになりながら、あるいはビールでつぶされながら(苦笑)やってきました。踊りあり、歌あり、ジョークあり。ま、私のいるところに踊りと歌とジョークがないはずはない(笑)

その一方で日本のODAにおけるコンサルタントの置かれているポジションや、ODAそのもののあり方、真っ正面からぶつかりました。「日の丸を背負う」という覚悟は、日本人である以上しなければいけないし、アフガンでは緑パス(いわゆる外交官パス)のしかも特殊バージョンを持って行く、ということで、それなりに「日本」の援助のあり方を己の行動と言動とで示して行く。個人である以上に「公人」でもある。が、下請けでもある。今もまあ、そこはジレンマですけれどね。

そんなのを抱えながら、そこと向き合う暇もないまま、ただがむしゃらに進み続け、目の前の山積みの課題をひとつひとつ、死にものぐるいで、それこそ公衆衛生から測量まで。呼ばれるところのために、学び続け、働き続けて来た2年間。専門としたい分野とは異なるけれど、これは必ず、「無駄」ではない。身を以てそれを実感する日が必ず来ると思います。ま、身体が壊れない方がおかしいし、心の中のジレンマも、破裂しない方がおかしいところまできていたんでしょうねえ。

コーチングのような形とはちょっと異なりますが、その壊れかけの部分をmendingしようと今、しています。どこで捻れたのか。どこを修正して行けば、自分は楽になるのか。棚卸しですね。もう全部。去年のBitrhday Resolutionは、「削ぎ落し、追求して行く」でした。まさにそんな感じです。

で、久々に、フルマップを描きました。

マインドマップ

1時間でA3。久々にがしがし進んだなあ。思い悩む前に、まあ、メインブランチはテーマがあったからなあ。とは言え、溢れ出て来るものです。さすがニューロンをイメージされたマップだけある。気付かなかったものにも気付きました。マインドマッパーMayte、健在でしたわ。前はもっと視覚に訴えるマップを描いて行ったんだけれど、今回は本当に多分1年以上フルマップを描いていなかったので、視覚イメージはちょっと少なかったな。

でも、すっきりしました。うん。これだよね、マップを描いて、きちんと自分を収束させて行く。この作業って本当は忙しいときが大事なのです。フォトリは、まだ身体の機能回復が遅れているので、フルステージは無理だろうけれど、またおいおい、ゆっくりね。

ああ、最後こうやって締められて嬉しいわ。

  1. 2012/03/07(水) 23:58:22|
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